愛しいバケモノ


 夜は好きだ。

 何故なら、人間の営みをあまり感じずに済むから。暗くて静かで、みんな死んでいるみたいだ。闇に沈む仲間が増えたように思えてくる。それが単なる錯覚だと分かっていても、一時的に安息を得られるなら、それでいいではないか。だから今夜も私は、真夜中だというのに眠らない。さぁ、思考の沼に沈もう。溺れて這い上がれなくても別に構いやしないんだ。明日なんて来なくても、何の問題もない。
 別に、私自身が所謂「普通の人」と違ったとして、普通の人を見下している訳ではない。人々が生きている音やにおいを、昼間は嫌でも感じてしまうから、それが嫌なだけだ。人と生きていると、嫌でも「自分が未だに生きている」という事実をつきつけられて本当に辟易する。探偵社員になったからといって、私の根本的な虚無感が消える筈もない。織田作が云った通り、幾分か素敵にはなれたんだろうと思う。世界はマフィアだけじゃなかった。こういう世界もあるのだと理解はした。けれどやっぱり、「生きる」という行為に、意味はあるのかい? そう、問い掛けずにはいられない。

 ただ、中也と出逢ってから、私は生きる意味を、何度も考えさせられるんだ。いつも以上に。
隣で寝息をたてている中也を、私はじっと見つめた。そもそもお互いを嫌悪しているというのに添寝、だなんてことになっているのも中也の所為だ。中也はある日突然、「最近眠れてないだろ?」なんて電話を寄越してきた。元々睡眠時間は短い方だ。眠れなくても、眠らなくても、そう大した差はない。マフィアに居た頃から、中也はわざわざ「眠れない時」に声を掛けてくる。「君に、他人の心配をする余裕なんかあるわけ? 自分のことで精一杯だろうに。カッコつけちゃってムカつく」当時はそう思っていた。あの電話が掛かってきた日から勝手に社員寮に入ってきて、私が眠るまで側に居るんだ。君、仮にもマフィア幹部だよね? 停戦しているとはいえ、敵組織の人員にこれだけ接触してくるなんて、本当にありえない。ばかじゃないの。やめてと云っても毎晩押し掛けてくるようになったから、私はしぶしぶ中也の家で眠ることにしたんだ。だって、マフィアの仕事に営業時間なんてものは無いんだよ。暇な時間帯はあれど、基本的に仕事は1日中続いているも同然。中也が私の部屋に赴くよりも、私が中也の家で眠る方が効率はいいだろ? 最初は煩わしく感じていたのに、習慣になってしまえば、何だって「ありふれた日常」の一部になり得る。今、この習慣を止めたら、私は再び社員寮の薄っぺらく冷たい布団で眠る羽目になってしまう。それが少しだけ寂しいと感じるだろうな、と予測出来てしまうくらいに、この添寝は日常に影響を与えているのだ。
 君は誰にでも優しいから、誰かが困っていたら、手を焼かずにはいられない。マフィア加入当初は一匹狼みたいな所もあったけど、幹部になって、君はきっと、誰からも慕われる存在になった。相手が誰であっても平等に、その優しさは分け与えられる。私だけ、な筈はないんだ。これを嫉妬と云わず、何と云うんだい? 嫉妬なんて感情、私にもあったんだ。中也を取られた気がして嫉妬している自分が居て、自分に対して腹が立つ。あぁ、私は中也に、他人と同じように接して欲しい。更にその寛大すぎる優しさを、私にだけ向けて欲しいだなんて思っているんだ。こんなのまるで、生きているみたいじゃないか。「今日も私は生きている」。私にこんなことを思わせる君が、心底、大っ嫌い。私が中也の家で添寝するようになってから中也は満足したのか、あろうことか私より先に寝ちゃうんだ。添寝するなら一緒に道連れになってよ。ねぇ、私はそんなの聞いてない。こういう身勝手な所も嫌い。

 中也と出逢ってから、私の心は動揺しっぱなしなんだ。
 マフィアに入る決め手も、中也だった。人間ではないかもしれない中也が、必死に「自分」を探す。私自身も「普通の人間」と何処かズレていることは、今まで生きてきて分かっている。普通に過ごしていて、考えてはいけないことをつい考えてしまう。考えて続けた結果、私は死を望むようになった。余計に人でなくなった気がした。だから中也には、一種の親近感みたいなモノが湧いている。私たちは、ある意味バケモノみたいなモノなんだ。だからそんな中也が、人間として苦しむのを、私は見ていたい。人間だからこんなに苦しむんだろう? 違うのかい? 私も少しくらい、人間らしく居させておくれよ。中也の正体は終ぞ分からなくなってしまった。あの時の決断は、あんな状態でさせていいモノではなかった。時間があったなら、決断に何年も時間を要したかもしれない。それをあんな、僅かな時間しか与えてやれなかった。当時はあれが最善だと分かっていたとはいえ、改めて考えるたびに「何とかならなかったのか」と自らに問うてしまう。私の心は、中也に動かされている。あぁ、嫌だ。

 中也はいつも、必死に生きている。
 必死すぎていっそ「生き汚い」と思う人も居るかもしれない。でも、私はそう思わない。中也の人生は誰から見ても苦難の連続だけれど、中也の生き様はうつくしい。中也を「バケモノ」だと云うのなら、それはその強靭でうつくしい、精神のことだ。どんな人間よりも苦悩して、全てを受け容れ、丸ごと背負って歩く。こんなに人間らしい人間、他に私は知らないんだ。こんなに「生」を感じさせる人間は、中也しか居ないよきっと。だから私は、中也が大嫌い。私がいくら考えても、生きる意味なんて分からなかった。なのに君は、生きる意味を知っているみたいに生きているではないか。元は同類のはずなのに。そんな君が、私は少し、羨ましい。

 あぁもう、何だかイライラしてきたから、嫌がらせでもしてやろうか。私は横向きになって、中也に抱きついた。これで朝、布団から出れなくなればいい。
「なんだぁだざい、さみしいのか? しかたねぇなぁ」
 寝ぼけたままの中也が私を抱き締め返した。何勘違いしてるのさ。だから嫌いなんだ、ばか。中也の体温は温かくて、私の眠気を引き出してくる。眠たくなってきた。仕方ない、もう寝ようかな。
「おやすみ。うつくしくて愛しい、バケモノさん」
 嫌いではあるけれど、今は愛しさも感じているんだ。君って人は本当に、私をどうするつもりだい? 額に唇を落として、私は目蓋を閉じた。気配で中也が、ふっと笑った気がした。

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