髪を結う

「中也の髪の毛、ほんと、随分伸びたねぇ」
 太宰が俺の髪を櫛で梳きながら呟いた。
「まぁ、な」
 俺の髪は今、腰くらいまで伸びていた。元々癖毛で毛量も多く、これだけ伸びるとボリューム感がすごい。
「本当に切っちゃうの?」
 太宰が本当に残念そうに云った。長年一緒に過ごしてきた髪だ。長いからと云って邪魔になった訳ではない。むしろ、愛着さえある。それでも俺は、この長く伸びた髪と別れることにしたんだ。太宰になんと云われようと、心はもう揺るがない。
「あァ。もういいんだ」
「私、中也の髪の毛を結うのだけは好きだったのに」
「そんなことは、知ってる」
「嫌がらせってわけ?」
「嫌がらせっつーか、手前への、枷ってところだ」
「私の犬のクセに何云っちゃってるのかな、まったく」
「最後だから特別サービスしてやってるんだ。我慢しろよ飼い主サマ?」
「もー。今日は好きなだけやらせてもらうからね。写真も撮るし、服も用意したんだから」
「ハイハイ」
 今日は、長い1日になりそうだ。


 俺が髪をここまで伸ばすようになったのは、太宰が云ったある一言のせいだ。
「中也の髪の毛って、綺麗だよね」
 マフィアに入って暫く経った日のことだった。それは、ごく自然に吐き出された言葉。犬猿の仲である太宰に、こんなことを云われるとは思っていなかった。会う度に何か文句を云わなければ気が済まない、そんな相手だ。こんな、悪意を込められていない言葉を、俺に云うんだ。そう思うと、意識せずにはいられなかった。
 それから俺は、髪を伸ばし始めた。今まではそれこそ、長くなると邪魔だからと程々の長さになると髪を切っていた。徐々に伸びていく髪は、俺が何者であろうが、日々を生きている証みたいに思えてきて邪魔だと思えなくなっていった。

 髪の長さが鎖骨を越えて、胸の下あたりまで伸びた頃だった。太宰と任務を終えて、部屋に戻ろうとした時。
「ねぇ中也、髪、どこまで伸ばすつもりなの?」
 太宰が俺にこういう、個人的なことを聞いてくるなんて珍しい。俺達の間にあるのは、「互いが互いでありたくない」。それだけの筈だ。
「うーん、あー、何も考えてねェな」
「君のことだからそうだと思ったよ。でもね、そろそろ考えてもいいんじゃない?」
「どこまで伸ばすかを?」
「忘れたとは云わせないよ? その手入れされてない髪、戦闘の時に動いて味方に当たってたじゃない」
 思い出した。あれはそう、事故だったんだ。流石にここまで伸びた髪を、振り乱しながら戦うのは邪魔になるからと最近はポニーテールにしていた。それでも長い髪の毛が、接近戦中に隣で戦闘していた味方に当たったのだ。その髪は不幸なことに重力操作で強化されており(そこまで配慮する余裕がなかったのだ)、当たった味方は気絶してしまった。
「あれは、済まなかったと思ってる」
 本当に、俺としたことが。それ以来、髪の毛の先まで意識して異能を使うようになった。あれ以来、髪による惨劇は起きていない筈だ。
「だからね、中也。整えてきなよ、そのボサボサな髪の毛」
 そう云って太宰は俺に、美容院の紹介カードを渡してきた。正直なところ、髪をここまで伸ばしたことがなく、任務の忙しさも相まってメンテナンスは何もしていなかった。太宰にボサボサと云われても、何も文句は云えない。太宰はカードを渡すと気が済んだのか、自室の方へ歩いて行った。カードを見ると、美容院は拠点からも近くて通いやすそうだ。もしかして、太宰も通っているんだろうか。……って、あれ。

——彼奴、髪を切れとは云わないんだな。

 その後、俺はその美容院に行った。毛量を減らしてもらい、トリートメントをして指も通るくらいサラサラで艶も出た。俺の髪も、捨てたモンじゃねぇな。
 帰り道にスーパーに寄ったら、偶然太宰が見えた。俺に気付くなり、太宰はこちらに歩み寄ってきた。
「中也、行ってきたんだね」
「おう。ありがとな、店教えてくれて」
「君の髪のためだからね」
 そうだよな、太宰が俺を気遣うわけないもんな。あくまで髪のため、なんだ。何故か心がチクリと痛んだ。
「私、髪が邪魔にならなくて乱れない、いい方法思いついたんだけど」
「なんだ?」
「三つ編みにすればいいじゃない」
「三つ編みぃ? 俺、やり方知らねェぞ」
「だったら、私が編んであげる」

 それからは朝、拠点に着いたら太宰の執務室へ行くようになった。太宰は俺の髪を、とても丁寧に扱った。櫛で梳いて、ヘアオイルも塗り込んでくれる。ホームケアのトリートメントまで「これを使え」と渡してきたくらいだ。俺の髪、大切にされているなぁ。なのに、俺のことは犬みたいに扱いやがって。太宰の優しい手つきは好きだったが、通う度にイライラした。

 太宰がマフィアを抜けた時は、案外驚かなかった。太宰の本心は誰にも分からない。何をしでかしたっておかしくなかったのだ。彼奴にも何処か、居場所と呼べる場所があるはずだ。マフィアは彼奴の居場所ではなかった。それだけのことだ。嫌がらせをされることもなくなるんだな。あぁでも、競う相手が居なくなって、つまらなくなるかもしれない。俺としては太宰なんて大嫌いだが、一緒に任務をするのは何よりスリルがあって、未知の刺激がたくさんあって楽しかった。ワクワクしたし、ゾクゾクした。
 そうだ、髪の毛はどうすればいい。太宰に大切にされていた、俺の髪。お前も、捨てられたんだな。長さは腰くらいまでにして、その長さを維持していた。毎朝結ってもらうのも当たり前になっていた。なぁ俺は、明日から、どうすればいいんだよ。

 だから太宰なんて本当に大っ嫌いなんだ、クソッタレ。


 大切にされていた髪を切ってしまうのは勿体ないし、大切にされた思い出が物質的に無くなってしまうのが嫌で、俺はそのまま髪を維持した。結い方を覚えて、太宰に押し付けられたトリートメントも自分で買った。美容院もこまめに通うようにしている。
 久々に探偵社員としての太宰に再開した時、彼奴が気にしたのはやっぱり髪のことだった。
「中也、髪の毛の手入れはちゃんとしているようだね。安心したよ」
 数年振りに会ったのに、開口一番これかよ。太宰は何も変わっちゃいない。俺のことなんて、ちっとも見やしない。俺を見ろよ! この時、俺は決めたんだ。この髪の毛を、今度こそ切ってやろうって。
 太宰にその旨を連絡すると、「最後に写真を撮りたい」と云う。スケジュールを調整して、写真を撮る約束をした。それで俺は今、太宰にされるがままになっている。服は男物もあれば女物もあった。スーツからチャイナドレス、メイドまで色々着せられた。定番だったポニーテールもしたし、ハーフアップやツインテール、お団子、更には巻き髪まで。撮影場所は太宰の家なのかと思いきやちゃんとしたスタジオだったし、カメラは一眼レフ。「なんだこいつ、気合い入りすぎじゃないか? そんなに俺の髪が好きか」と思ったが、髪にふりまわされるのも今日で最後だ。
 すっかり日が暮れて、「これで最後だから」と云われ、どんな髪型になるのかと思ったら太宰は髪束を三つに分けた。そうか、最後は三つ編みか。
「何で、切ることにしたのさ」
 俺は本心を云うか迷ったが、この際だと思い伝えることにした。
「太宰が、ちっとも俺を見ないから」
「君、そんなことずっと思ってたの?」
「太宰は、俺の髪にしか興味ないんだろ?」
「そっか、中也はそう受け取ったのか」
 太宰は「はぁ」と溜め息を吐いた。
「なんだよ。文句でもあるかよ」
「中也、私はむしろ、君に興味があるんだよ」
「どういうことだ」
「今だから云えるんだけど、聞いてくれる?」
「勿論」
「私は中也と普通に、会話したいんだ。当時は何かと君が目についてね、普通にお喋りするなんてできなかった。ま、今も結構難しいけれど。ある日君を見て、『綺麗な髪だな』って思ったんだ。いつもなら普通にそれを伝えられないんだけど、あの日は気付いたら口から言葉が飛び出てた。で、君、それから髪を伸ばし始めたじゃない? もし違ってたらとっても恥ずかしいけれど。それで、任務以外で接点にならないかなぁって思って、君の髪を毎朝結ってたの。私、あの時間が好きだったんだ。お互い無言だったけどさ。だからさ、中也。私とデートしてよ」
 あー、そうだったのかと聞いていたら、いきなり何を云い出すんだこいつ。
「はぁ?! 手前とデート? 何云ってやがる!」
 真剣に云っている太宰には悪いが、悪寒がした。
「だってさ、適切な言葉が思い当たらなくて。君と私は友達でもないだろ?」
「かといって恋人でもねェよ!」
「まぁとにかく、お喋りしようよ。あ、分かった! お茶でもしよう」
「俺を見てくれるなら、いいぜ」
「私はずっと、見てたつもりだったんだけどなぁ。ね、今度こそ中也を見るから、髪切るの止めない?」
「止めない」
「即答? もー、非道いな」
「俺をちゃんと見てるって分かったら、また伸ばしてやるよ」
「云ったね? 臨むところだ」


「あ、太宰さん、また待ち受け変えたんですね」
「敦君、おはよう。そうだよ、どれもいいでしょ」
「どれも綺麗です。でも、どこかで見たような気がするんだよなぁ」


「中也さん、おはようございます。あ! 今日は編み込みなんですね、素敵です。髪の毛をバッサリ切った時はびっくりしましたよ」
「樋口、おはよう。まぁな、これも悪くないだろ?」

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