14.ふたりうたう

「太宰、この後予定空いてるか?」
 ホールでの練習を終え、ふたりは帰路についていた。ヴァイオリンケースを背負い、駅に向かっているところだ。
「うん、空いてるよ。買い物でもするかい?」
「カラオケに行かねぇか?」
「カラオケ? そういえば最近行ってないねぇ」
 太宰は突拍子もなく出てきた「カラオケ」と云う単語に驚きつつ、返事をした。
「おう。もう、かれこれ1年は行ってねェと思うぜ。たまには声を出したくてな。どうだ?」
「いいよ。たまには中也が歌ってるの聴きたいし」
 クラシック中心に勉強してきた太宰と違い、中也が学ぶジャンルは幅広かった。学んだ分野の数で比べれば、中也の方が多いくらいだ。中也のフットワークは軽く、興味が湧けばすぐに本を読むなり、ネットで検索するなりしていた。クラシックだけではなく、ジャズやJ-POPも学んでいるのだ。歌詞付きでお気に入りの曲を見つけると、音源を何回も聴いて覚え、カラオケで歌う。「きっと久しぶりに良い曲を見つけたんだろう」と太宰は思った。
「じゃあ決まりな。メシもカラオケで食べようぜ」

 ふたりは駅に近いカラオケ店に入った。夜だったので部屋は空いていた。コースは長居出来るようにフリーを選ぶ。ドリンクバーでドリンクをグラスに注いでから、指定された部屋に入った。
「うわ、ひっろ」
 ドアを開けると、そこはふたりでは広すぎる部屋だった。ソファには10人以上座れそうだ。
「いいじゃん、心置きなく歌えるし」
 太宰はそう云いながら荷物をソファの上に置いた。楽器があっても十分な広さだ。中也も荷物を置き、ふたりはモニターの向かいに座った。
「中也、何歌うの?」
「プレイリスト聴いたか? 新曲がすごく良くて。歌いたくなった」
 太宰と中也は音楽のサブスクリプションサービスを利用しており、プレイリストを共有している。楽譜から読み取ることも大切ではあるが、音源があると体感で分かりやすくはなる。音源を聴くこともまた大切なのだ。いつでも何処でも、端末を持っていれば利用出来るこのサービスはふたりにとって有益だった。買うか迷っているCDをお試しで聴いたり、アプリでオススメされた曲が思いの外良かったり、「聴く」ことへのハードルが下がった。太宰は中也に便利だと勧められて利用を始め、今では以前ならば全く興味がなかった邦楽を聴くようになっていた。最初は太宰が一方的に、中也が聴いている曲を尋ねていた。中也は次第に曲名やアーティスト名を教えることが面倒になり、今聴いている曲をプレイリストに登録して太宰と共有するようにしたのだ。自分ばかり教えるのも癪だったので、中也も太宰が聴いている曲のプレイリストを教えてもらうことにした。プレイリストを共有しあうようになってから共通の話題が増え、より会話が弾むようになった。
「あぁ、先月出た曲ね。『中也が好きそうだな』って思ってた」
「だろ? 初めて聴いた時から『これは絶対歌う』って決めてたンだ」
 そう云いながら、中也は最初の曲を登録した。カラオケで歌う一曲目はいつも決まった曲を歌う。太宰も聞き慣れて最早お馴染みになったイントロが流れてくると、ソファに腰掛けていた中也は立ち上がり、マイクを持って歌い始めた。

 あぁ、やっぱり中也は中也だなぁ。

 太宰は中也の歌を聴きながら思う。普段は楽器を演奏しているが、その時のクセは歌っている時も同じだ。ただ、歌うことは自らが楽器になるようなモノなので、「こうしたい」と思ったことが聞き手に伝わりやすいような気がする。中也がとても感情的に歌いあげるので、感情の起伏が穏やかな太宰でさえ心を揺さぶられた。中也の歌声は、皆を虜にする。中也が学園祭でバンドを組んで以来、「また歌ってほしい」と同級生から云われる程だった。中也は今現在、バンド活動をしていないものの、再結成を期待している人も多いらしい。太宰も実際に聴いてみて、「中也は歌でも食っていける」と思った。真っ直ぐな人柄が分かる力強い歌声は、きっと、たくさんの人を勇気づけることが出来るだろう。それでも太宰が中也に歌を勧めないのは、中也を独り占めしたいからに他ならない。

 楽器を弾く中也をみんなは見ているのだから、これ以上、中也を見ないでほしい。

 そんなことを思っているうちに中也が歌い終わり、太宰の番になった。太宰は電子目次本の端末を中也の方へやりマイクを持つ。太宰が入れた曲はラブソングだった。最初は準備運動のようなもので、歌い慣れた曲を歌う。この曲も「歌い慣れた曲」のうちのひとつだった。イントロが流れ始め、中也の肩がビクリと揺れたのを太宰は見逃さない。太宰が中也とカラオケに行き始めた当初は、手当り次第に好きな曲を歌っていた。何回も回数を重ねるうちに分かったことがある。中也は太宰が歌うラブソングが好きなのだ。他の曲より真剣に聴いているし、何より歌詞の内容で表情がコロコロ変わる。様々なジャンルの中で、ラブソングが一番大きく変化する。それが面白く、可愛く思えて嫌がらせとしてラブソングばかり歌うようになったものの、そういう中也を見ているうちに、いつしか太宰は本気で歌うようになっていた。「好き」とは言葉で何度も伝えられるけれども、「愛してる」はなかなか面と向かって云えないと気付いたから。だから今日も、精一杯の気持ちを込めよう。


 カラオケを始めて暫く時間が経ち、丁度太宰が歌い終えた所だった。
「ちょっとトイレ、行ってくる」
 中也がそう云ったので、太宰が返事をしようと中也の方を向いた。
「そんな顔で、出ていくの」
 中也は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「手前がそんな歌、うたうから、だろ」
 瞳から涙を落としそうな中也が、声を震わせて云った。
「ごめんね。どんな反応するかなと思っちゃってさ」
 太宰が歌ったのは失恋ソングだった。恋愛関係の曲の中で今まで歌ったことがないと気付き、今回歌ってみることにしたのだ。歌っている最中、中也は溢れる悲しさを耐えようと肩を震わせていたことは気配で分かっていた。太宰はまさか中也が泣きそうになるとは思っておらず焦る。慌てて中也を抱き寄せ、肩に腕を回した。
「中也のことは、離さないから」
「嘘吐くんじゃ、ねぇ。本気で歌ってたくせに……!」
「本当に離さないよ。どうすれば信じてくれるかな……?」
 今度はしっかりと抱きしめ、中也の頭を優しく撫でた。こんなことで別れるわけにはいかない。
「……俺が好きな曲、歌えよ」
「いいとも。お詫びに何曲でも歌うよ。どれにしようか?」
 太宰が中也に訊ねると、中也は端末を取り出した。いつも使っている音楽のアプリを開き、選曲して太宰に指し示す。
「これで全部かい? ……それにしても、君」
「わかってる」
 中也が選んだ曲はどれも、砂を吐きそうな程甘いラブソングだった。
「だって手前が、なかなか歌ってくれねェから。……プレイリストにずっと入れてるのに」
 尻すぼみになりながら、中也は恥ずかしそうに云った。歌詞があまりにも甘すぎるので、太宰は今まで避けていたのだ。こういう曲は、恥ずかしがって歌うようでは格好悪いから。いつか照れ臭さが消えて、心が決まったら歌ってみようと思っていた。
「勿論歌うけど私、とっても格好悪いかもしれない」
「それでもいい。格好悪ィ太宰なんて、滅多に見れないしな」
「云ったね? 君」
 ムっとした太宰は早速曲を登録していった。


 あと、何曲あったっけ。

 太宰の頭はどこかぼぅっとしていた。正直、全然格好良く歌えていない。いつもなら中也の方が照れているはずなのに、中也は平然としているように見えてしまう。今は歌った歌詞を反芻して、頭が沸騰しそうだった。「あぁ、悔しいなァ」と思いながら、それでも言葉を、歌詞を、曲を伝えようと必死になる。

 私の想いが全部、中也に伝わりますように。

 想いを全て吐き出した頃、中也がリクエストした曲を太宰は全て歌いきった。どこか燃え尽きたような状態の太宰に、中也は一言「ありがと」と云い、電子目次本に曲を登録していく。「次は俺の番な」と真剣な表情で、しかしどこか嬉しさが滲み出ている中也を見て、太宰は自分の歌が伝わったのだと思った。歌い始めた中也はとても輝いて見えて、先程まで泣きそうになっていたとは思えない程格好良かった。

 その後、夕食を注文してまた何曲か歌い、そろそろ帰る頃合になった。カラオケの最後に入れる曲も決まっていた。デュエットの曲だ。座って歌っていた太宰も中也と同じく立ち上がる。歌い始め、共鳴する響きがよりダイレクトに感じられる。伝わってくる空気の振動を感じながら自分の声を出し、ひとつになるように混ぜ合わせていく。楽器の音よりも、声の方が近くに互いを感じることが出来る。楽器があるからこそ、ふたりは何処か客観的に音を聴くことが出来ていた。今は、その隔たりがない。むき出しの音で、溶け合う双つの声。重なり、境界線が溶けて混ざり、なくなっていった。ぴったり合わさった時の空気の振動に、ふたりは高揚を隠せない。

 これだから一緒に居るのを、一緒に音楽するのをやめられないんだ。

 そして最後の一音まで、集中力を切らさずに歌いきった。ふたりはこの曲を歌い終わるといつも、スッキリした気分になる。

「また来ような」
「うん。君となら何度でも」
「今度は格好良く歌ってくれよ?」
「練習するから付き合ってよね」
 太宰は中也の手を握り、繋いだ手を離さないように、今度こそ格好良く歌えるように、決意を込めてキュッと力を込めた。中也は思わず口元を緩ませた。
「……中也、すごいニヤニヤしてる」
「してねェ!」
「してるよ。中也、私の声聴くの大好きだもんね? ちゃーんと分かってるんだから」
「俺好みに格好良く歌えるまで、付き合ってやるよ」
「じゃあよろしく、センセ」

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