9.新年への飛翔*

 今日は大晦日。クリスマスが終わった途端、街は年末モードに切り替わる。クリスマスが近い時、店頭には嫌というほどクリスマス用の商品が並んでいるというのに、それが終わった途端、慌ただしく次の年を向かえる為の準備に入るのだ。その切り替えの速さと云ったら。昨日「メリークリスマス!」と云ったのに、次の日会った時には「よいお年を」がさよならの挨拶になる人だって居る。それだけこの時期は慌ただしく日々が過ぎていく。太宰と中也も例外ではない。24日と25日にはクリスマスの演奏会に参加し、本番が終わったと一息つく暇もなくニューイヤーコンサートの練習に取り掛かっていた。練習から開放されたのが30日。そこから新年の準備を急ピッチで進め、大掃除や食材の調達をふたりで手分けして行った。掃除がなかなか終わらず大晦日を迎え、掃除が終わり落ち着いて夕食を食べ始めたのは21時、食べ終わり後片付けも終わった頃には既に22時を越えていた。ゆるりと食後のコーヒーを飲みながら、太宰は中也に話しかけた。
「やっぱり新年をさ、中也とふたりで演奏しながら迎えたいんだけど今から何か弾かない?」
「いいぜ。クリスマスコンサートはオケだったからな。太宰がいつもより遠く感じて、なんか物足りない感じがしてたんだよ。で、曲はどうする?」
「年越しなんだし『ボレロ』はどうかな。ほらあるじゃん、0時ぴったりに曲が終わる番組。あれみたいに私たちもぴったり終われるよう、チャレンジするっていうのは」
「『ボレロ』かァ。チャレンジするのは面白そうだからいいぜ。そうだな、曲の構成もシンプルだし、ふたりなら旋律と伴奏を交互で弾けばいいと思う。でも、この曲は色々な楽器が旋律を奏でていくから楽しめる一面があると思うんだ。そこはどうする?」
「あぁ、それならここにある楽器使えばいいんじゃないかな?」
 太宰はヴァイオリンからヴィオラに転向する前に、様々な楽器を転向対象として試していた時期があった。その時に購入した楽器があるのだ。
「うーん、中也が出来そうなのは、ヴィオラとグロッケンと、あとは変化球だけどギターとリコーダーかな。サックスとかやってみる? 運指はリコーダーと一緒なのだけれど」
「ヴィオラは確かに、ポジションの位置と音階の幅さえ分かれば出来ると思う。リコーダーとグロッケンもボレロなら大丈夫だ。ギターは俺持ってるからそれ使うわ。サックスは興味あるけど今回はやめとく。時間ないしな。太宰は何を?」
「ヴァイオリンとヴィオラとチェロはまぁいける。ピアノにフルート、クラリネットとオーボエも一応音は出るし運指も覚えてる。年越しとはいえ夜中だから、金管楽器は遠慮しとこうかな」
「まぁ、手前がそれだけ種類扱えるならどうにかなるか。じゃあ、準備始めようぜ」
 中也はそう云って立ち上がり、お手製の防音室へと向かっていった。太宰もコーヒーを飲み干し、中也の後を追った。


 部屋に移動すると、早速使用する楽器をケースから出し組み立てていく。次々と組み立てスタンドに収まっていく楽器たちを見て、中也は云った。
「太宰、よくもまァ、これだけの楽器を集めたな」
「うん。実はあの頃の私って、音楽を辞めようとしていた時期でもあったんだよね。でも、幼い頃から音楽は隣にあって、今更離れることは出来ないと結論づけたのさ。それはそれで苦しい選択ではあったんだけどね、当時の私からしたら。せめてヴァイオリンじゃない楽器を、と思って取り敢えず知ってる楽器を片っ端からやってみたんだ」
「それで、結局ヴィオラになったわけか? それほど離れたかったのに結局弦楽器になったんだな」
「それがねぇ、管楽器というのは音程が大体でしか出ないのだよ。私にとっては、案外それが不自由だったりするのさ。マウスピースだとかリードだとかリガチャーとか、道具や自分の技術でコントロールは勿論出来るんだけれど、思う以上にそれが大変でね。弦楽器なら弦を押さえる位置だけで音程は自由自在じゃないか。そのことに気が付いてね、結局弦楽器に。……あと、やっぱり君と、演奏したくて。君とレッスンを一緒にしていた頃はヴァイオリンだったからね、離れてはいけない気がして。じゃないと君が、私を追って来られないでしょう?」
 太宰にそう云われ、少し首を傾げて考える素振りをしてから中也はこう答えた。
「……俺は、手前が何かしら音楽を続けているのであれば、近付こうと思うぜ。それがどういう形になるかは分かんねェけど。でも今は今で太宰と一緒に演奏出来て、俺は、幸せだ」
 中也はスタンドに立てられた楽器たちを倒さないようにそっと動き、正面から太宰を抱き締めた。そして手を伸ばし太宰の頬に両手を添え、目線を合わせた。
「好きだぜ太宰。相棒としても、恋人としても。いっそ憎いくらいに、な」
「君はまたこんなタイミングで、なんてことを云ってくれるんだい……」
「手前って演奏会の時はどんなことがあっても冷静なのに、俺の事になるとバカになるよな」
 ニィと口許だけで笑いながら、中也は涙の膜がゆらゆらと揺れる太宰の瞳の下を親指でそっと撫でた。
「そんな手前も、全部ひっくるめて好きなんだ」
「なんで今日に限って、そんなこと云ってくるのさ。いつもは私ばかりなのに」
「俺云っただろ? 物足りないって。だからたまには、俺から俺の気持ちを云ってもいいかと思って。そうすれば、手前は……」
「つまり、焚き付けてやったと。……色んな意味で」
「そう。色んな意味で、だ」
「おかげで何を優先したらいいか分からなくなってきちゃったじゃないか」
「は? そりゃまずはボレロ弾くところからだろ? 手前まさか、自分から云い出しておいて放り出すつもりだったのか?」
「えー? だって、君からだよ? 久しぶりに好きだなんて云われて? 我慢出来るとでも思っていたの?」
「いやでも、時間ねぇだろ! 俺はボレロ弾きたいんだ」
「ふーん? つまり、ボレロを弾いた後でゆーっくり愛しあいたい、と」
「……そう、だ」
 顔を真っ赤にしながらコクリと頷き、小さな声で中也は云った。
「わかったよ。私も中也と演奏したいし。年越しだなんてシチュエーションは今しかないし。君と蜜月を過ごすのは、その後にしよう」


 どこをどちらが演奏するかの割り振りを決めた後、各々楽器たちを鳴らし、軽く練習をした。23時30分頃、ふたりは練習を止め楽器の持ち替えをする為のセッティングを始めた。
「太宰の周り、なんだかすごいことになってるな」
 太宰を囲むように、様々な管楽器と弦楽器が置かれていた。椅子の配置は、お互い楽器が邪魔にならないこととアイコンタクトが取れることを考慮し、向かい合わせになった。
「はは、弦楽器はまだしも、これだけ細長い管楽器が揃っていると倒しそうで怖いな。まぁでもこうするしかないかな」
「それだけたくさんの楽器が弾けるなんていいな。太宰と一緒に色々な音色で、色々な音楽を奏でられるなら、ヴァイオリン以外にも目を向ければ良かったなァ」
「今からでも遅くないさ。中也だって練習すれば弾けるよ」
「まァ、今の目標を達成したらまた考えるぜ」
「着実に、目標を達成してね。……おや、そろそろ演奏し始めないと。あの壁掛け時計が基準ね」
 太宰は部屋の壁面に掛かっている時計に視線を向けた。中也も時計を見やり、頷いた。そして太宰はフルートを、中也はヴァイオリンを構えた。視線が合わさると、お互い自然と笑みが零れた。アインザッツのタイミングもピッタリ重なり、呼吸がひとつになった。中也の伴奏から始まる。音の粒は程良く余韻を残しているものの間延びしない、歯切れの良い音形だ。音がいくつも連続している部分も加速しないよう注意し、正確にリズムを刻んでいった。そこからすぐにフルートの旋律が加わった。繊細かつ緻密に計算された息遣いで奏でられていく。低音域の部分もしっかり息を吹き込み楽器を鳴らす。太宰の真骨頂は、計算されつくした表現のコントロールにある。例えばビブラートであれば、深さと幅を曲ごとに変えるのだ。管楽器の演奏であればマウスピースやリードを変え、音色も変える。仮令それが最初自分に合わないものだったとしても、音色の為ならば練習は厭わなかった。自分が専門としていない楽器であっても、その拘りは本人にとって譲れないものらしい。半ばお遊び気分での演奏とはいっても、太宰が少ない時間で今回使用する全ての楽器にとって、どの道具を使用するか選んでいたのを中也は見ていた。暫く、いや、かなりブランクのある状態だったはずなのに、おかげで音色はとても繊細でうつくしくて、ブランクがある状態とは思えなかった。数多の管楽器をあんな短期間でこれほど演奏出来るようになれたのは、その音色への拘りと天賦の才があったからだろう。才能だけに甘えず、太宰自身が追求し続けたいモノを追求しつづける姿を、中也は純粋に尊敬していた。
 旋律が中也に移り変わる。中也は太宰ほど器用ではない。認めたくはないがそれが事実であることは本人が一番自覚していた。故に、太宰とは違う考え方・方法で中也は音楽と向き合った。太宰とは逆に、中也が一番使いやすい楽器や弦、弓を選び出し、自分にとって常に最高のパフォーマンスが出来る環境を整えた。扱う弓や弦の種類は太宰に比べると随分少ないが、それら全てが中也にとっては精鋭なのだ。そして、最大限に楽器が持っている魅力を引き出せるからこそ様々な側面を見出し、表現に取り入れることが出来る。ひとつのモノに正面から長い時間を掛けて向かい合い極めようとする姿を、これまた太宰も尊敬していた。

 その後も旋律と伴奏を交互にこなしていき、曲はいよいよクライマックスに差しかかった。原曲では転調し、金管楽器が盛大に加わりフィナーレに向けて演奏している部分だ。ここからはふたりとも旋律に入る。何度も入れ替えていた楽器は曲の最後ということもあり、いつも通りにしようということになっていた。太宰がヴィオラ、中也がヴァイオリンだ。打ち合わせ通りのボーイングでユニゾンを合わせる。時計を見ながらテンポの微調整もする。こういう緻密なことは太宰の方が得意なので、中也は太宰が決めたテンポをなるべく壊さないように演奏していた。時計を見る限り、どうにか上手くいきそうだ。

 ーーそして、最後の一音を鳴らしたと同時に秒針が12に到達した。

 音の余韻を味わってから、ふたりは構えていた弓を同時に下ろした。
「……ふぅ、ちゃんと出来たな。なんだかスッキリしたぜ。あけましておめでとう、太宰」
「あけましておめでとう。楽器の持ち替え大変だったけど、上手くいって良かったよ。久しぶりに君とふたりで演奏出来た。ひとまず満足かな……ってことで」
 太宰は椅子から立ち上がり、中也のもとへ向かった。椅子に座っている中也の顎に人差し指を添え、少し力を入れてクイっと上を向かせた。視線がかち合う。
「今度は中也が欲しいなァ。約束通り、ね」
「それはいいんだけどよ、楽器片付けてからな」
「あー、それは分かってるんだけどさ……駄目?」
 太宰は中也をチラりと見詰めた。
「駄目だ。木管楽器ってデリケートなんだろ? それならちゃんと、片付けないと。俺の相手はその後な。手前は所構わず襲ってくるからな、片付けるまで相手はしねェぞ」
「分かったよ仕方ないなぁ。木管楽器は特に、分解しないとケースに仕舞えないから面倒なんだよね。管内の水分も大敵だし」
「確かにな。俺も手伝える所は手伝ってやるから。……俺だって、早く太宰に触れて欲しいんだ」
「中也だって早く私といちゃいちゃしたいんじゃんか。だから聞いたのに。よし、片付けようか」


 片付けが終わった後、早速寝室に向かおうとした太宰を止めたのは中也だった。大掃除をしたので、シャワーを浴びてからにして欲しいらしい。太宰は「それじゃあ一緒に入ろう?」と誘ったが中也はそれを断った。「そんなことしたら、耐えられなくなるだろ」と返答すると太宰だけをバスルームに押し込み、ドアをぴっちりと閉めた。太宰は着替えを持ってくるようドア越しに頼むと、大人しくシャワーを浴び、躰をきれいに洗った。太宰がシャワーを浴び終わると、交代で中也がシャワーを浴びた。
 シャワーを浴び終えた中也が寝室に入ると、太宰はベッドに腰掛けていた。「おいで」と優しい声音で云われれば、中也は行かずにはいられなかった。お互い入浴後にセックスする時は、バスローブを着るのが最近の習慣になっていた。因みに、バスローブの下に下着は身につけていない。どうせ脱ぐことになるからだ。中也は太宰の膝を跨いでぺたんと腰を下ろした。そして太宰の首に腕を絡め、触れるだけのキスをした。
「随分と待たせちまったな」
「ほんとだよ! どうせこれからぐちゃぐちゃになるのに」
「だから、シた後一緒に入ろうぜ。風呂のボタン押してきたからさ」
「いいねそれ。久しぶりだなぁ、セックスするのも中也と一緒にお風呂に入るのも。あ、そうだ、今日は私がローション塗ってあげる」
 職業柄、手を使うということで中也は見た目にも気を遣っていた。乾燥でガサガサした手でヴァイオリンを弾きたくないのだ。冬以外の季節でも、手袋をして大事な手が傷付くリスクを避けている。ケアも大事ということでハンドクリームもマメに塗っていた。それが全身にまで及んだのは、太宰と付き合い、同棲を始めた頃だ。同棲していても互いのスケジュールが合わないこともよくあるため、今回のように数日間ずっと一緒に過ごせるのは珍しい。故に、一回一回濃密に過ごせるようにしようとしたのだ。保湿ローションを塗る習慣は、太宰に触れられるのが好きな中也が自分自身と、中也に触れる太宰を想って始めた習慣だった。どうせなら触る方も、すべすべした肌がいいと思っての行動だった。中也は髭も脚も、殆ど毛は生えない体質だったが、太宰とのプライベートな時間を過ごす一環として最低限の手入れはしていた。
「あれ、ローションもう無かったはずだぞ? しかも今日買い忘れてた気がするんだが、まだストックあったのか?」
「もうすぐなくなる頃だと思ってカゴに入れておいたのさ。中也忘れてたみたいだったから。生憎いつものは無くて、香り違いのやつなんだけど」
「太宰が塗ってくれるなら、いいぜ」
「うん。ふふ、爪の先まで、愛しながら塗ってあげる……。じゃあ、バスローブ脱ごうか」
 太宰に促され中也は一旦太宰の膝の上から降り、ばさりとバスローブを床に脱ぎ捨てた。そして再び太宰の膝に向かい合わせでぺたりと座った。太宰はローションを手にとり両手に纏った。まずは首から肩をなぞり、腕にまで塗り広げていく。次に手。指先も塗り残しがないように一本ずつ大事に塗っていく。水掻きの部分も忘れないように、ひとつひとつじっとりとなぞる。範囲が広い背中も、ローションを継ぎ足しながらゆっくり愛撫しつつ塗る。綺麗にくびれた腰のラインを下からなぞると、中也がひくりと震えた。情欲に揺れる瞳と、眼があった。
「ねぇ中也。胸も今塗って欲しい? それとも、いっぱい感じちゃうトコは後がいい?」
「どうせ全部塗ってくれるなら、今が、いい」
「分かった。きっと、いつもよりすべるから気持ちいいよ」
 太宰は微笑みながら云い、ローションを継ぎ足した。しなやかな腹筋をなで上げ、そのまま円を描くように塗り広げた。暫くくるくると突起を避けるように触っていた。
「ん……、だざい、はやくさわれって」
 我慢できなくなったのか、中也が胸を押し付けてくる。
「だったら自分で動いてみて? 手を一旦止めてあげるからさ」
 太宰が手を止めると中也は少し迷っていたが、なかなか触れてもらえないことを悟ったのか、自ら動き始めた。
「ンっ、あ、きもち、」
 スリスリと太宰の手に胸の突起を擦り付ける。中也は暫くそうしていたが、だんだん物足りなく感じていた。
「やっぱり、だざいがさわれよ、ナァ……」
 懇願するように太宰に目線を送ると、ちゅう、と唇を吸われた。
「ごめん、久しぶりだったからちょっと苛めたくなっちゃった。私の手で気持ちよくなってる中也はとても可愛いしえっちでそそるけど、私が気持ちよくしてあげたいなぁやっぱり」
 そう云うと太宰は中也の胸の突起を指で押し潰した。いつもよりぬるぬるとする分やはり滑りがよく、乳輪もぐるりと触りながら執拗に何度も触れた。
「だざっ、ンっ、あ、やっ、イきそ」
「イきそう? 乳首だけでイくの初めてなんじゃない? ……いいよイって?」
 太宰が往復するスピードを速めてやると、中也は白濁を零した。脱力してしまい、太宰にもたれ掛かる。太宰はそんな中也を労るように抱き締めた。絶頂の余韻が少し収まるまで、背中を撫でてやる。
「よっぽどきもちよかったんだねぇ、中也。ほんと、私に触られるの好きだよね」
「だっておれに、いつもやさしく触れてくるから」
「あれ、前は私の手がきれいだからって云ってたじゃないか」
「それもある。太宰が楽器を弾いてる時、つい手元ばかり見ちまう。そんな手がおれに触れて、セックスして、おれで汚れていく。たまらなく背徳感がある。けれど同時に、充足感もあるんだ。この感覚はなんだろうとずっと考えてた。おれに触れるその手からは、あたたかさを感じる。だざいの手は冷たいけど。うまくは云えないがちゃんと想われてるなって感じて、そんな手で触れられて、心地好くて、しあわせなんだ」
「そんなこと、思ってくれていたの」
「あァ、そうだ」
「私ね、不安だったんだ。双黒だけで食っていけるなら、君との時間も増えるじゃない? でも、現実は違う。個別の活動も必要不可欠だ。だからほら、スケジュールが合わないこともしばしばだろう? 折角同棲してるのにすれ違っているような気がしていたんだ。中也がこんな風に思ってくれていたのなら、要らぬ心配だったようだね。……ありがと」
「礼を云うなんてなんだか手前らしくねェな。でも、ま、そういうことだから安心しろよ。で、落ち着いてきたし続きだ続き。いつもみたいに、触れてくれよ」
「分かった。次は脚かな? うーん、私から降りて、ベッドに座って」
 中也は云われた通りに太宰から降り、ベッドに腰掛けた。太宰はベッドから降り、中也のもとに跪いた。そして中也の右足を手に取り、恭しく口付けた。
「っ、」
 太宰の行動に驚いた中也が息を呑んだ。
「練習してる時は素直になれないけど、今なら素直になれそうなんだ」
 太宰はつま先からローションを塗り込んでいく。踵は包み込むように。そこからふくらはぎを両手でなぞる。塗れるようにと中也が脚を上げ、太腿の裏に達する。継ぎ足した後に今度は太腿の表から滑るように塗り、再びつま先へ到達した。
「……中也は私にとって、かけがえのない、只ひとつの存在だよ」
 もう片脚も同じように塗り上げていく。太宰の視界の端で、中也の白濁がこぷりと溢れるのが見えた。
「まだ大事なとこ、塗ってないよね」
 太宰は再びベッドに乗り上げ、中也を後ろから抱き込むように腰掛けた。中也に脚を開くよう頼むと、中也は恥ずかしそうにゆっくりと脚を開いた。
「そういやなんで、こんな所にこの鏡があるんだよ」
 太宰と中也の正面には、普段演奏の姿勢チェックの為に使用している大きな鏡があった。
「何を今更。多分、防音室掃除してその後戻し忘れちゃったんじゃない? 丁度いいや。私に愛されてる中也をちゃんと、目に焼き付けておいてよ。セックスするのはやっぱり、君が君だからなんだから」
 太宰はローションを手に取り少し温めると中也の陰茎をゆるゆると扱き始めた。
「ひ、ぁ、だざい……」
 久々の刺激に不安を感じた中也の手がシーツを乱す。太宰は彷徨う手を安心させるかのように包み込んでやった。きゅっと少し力を入れて握ると、震えは少しずつ収まっていった。
「大丈夫、気持ちいいだけだから。知ってるでしょ、中也も」
「きょうはっ、きもちよすぎてこわい」
「そっか。だからかな、鏡見てよ。ちゅうや、もうとろとろだね」
 鏡には頬を赤く染めてうっとりと瞳を潤ませた中也が映っていた。
「おれ、いつも、こんな……」
「そうだよ。とっても艶っぽくて、私は好き。このカオに何回煽られたことか」
「だざいこそセックスしてる時、ちゃんと男っぽいよな。きれいな顔してるのにそんな表情になるから、つい見惚れちまう」
「だって、ベッドの上では誰にも邪魔されず、君を独り占め出来るから。君は、みんなから愛される存在だから、ね。ねぇ、ちゃんと気持ちいい?」
 扱くスピードを速めながら太宰が云った。
「ン、きもちい……っ、またキちゃう、や、だざいと、がいいっ。いつもおれ、ばっかりだから……」
「じゃあ、こっちにおいで?」
 太宰は中也を扱く手を止め、バスローブを脱いだ。太宰の意図を汲み取った中也は、半分力が入らない躰をゆっくり動かし、太宰の向かい合わせに座った。互いの陰毛が触れそうになるほど距離を縮める。顔を鏡越しではなく直接見れるのが嬉しくて、思わず太宰に抱きついた。
「今日はなんだかすごく甘えただね? 可愛いから喜んで歓迎するけど。一緒に気持ち良くなろうか」
 太宰は互いの陰茎をまとめて握り込むと、先程中也にしたように扱き始めた。悦に浸って迷子になった相棒の片手を捕らえ、組むように握ってやる。瞳を覗き込むと溶けそうな程潤んでいて、見ているこちらが引き込まれそうだ。未だ少し冷静さが残る頭で相棒を感じる。扱くスピードを再び速めると、太宰を求める嬌声が耳に入ってきた。脚も太宰の腰にまわされ、がっちりホールドされる。「あぁこの相棒は、ちゃんと私を求めてくれているのだな」と感じた途端、快楽が吹き出してきた。我慢しきれなくて、白濁を吐き出してしまった。相棒の方を見ると、少し透明になった欲が視界に入った。ほぼ同時に吐き出したらしい。
「ちゅうや……キス、したい」
「ん、いい、ぜ」
 躰を密着させながら、互いを喰らいつくすような口付けをしあう。こんなに激しい口付けをするのは久しぶりだった。擦れる舌、唾液、咥内、全てが熱く、そして甘く感じられた。ゾクゾクと背に快感が走る。最後にジュッと中也の舌をキツく吸い、ゆっくりと唇を離す。唾液でてらてらと艶めく唇が、とても婀娜っぽい。
「今日はなんだか、私もすっごく気持ちいい。久しぶりだとこうも違うかな」
「……それもあると思うけど、やっぱりプライベートだからってのはあると思うぜ。仕事はあくまで仕事でしかないっつーか」
「まぁ、確かにね。ってことは中也は私と仕事中もいちゃいちゃしたいの?」
「え? いや、そんなことはない、けど」
「けど?」
「太宰こそ、大勢からひっぱりだこじゃねェか。……俺の、なのに」
「中也そんなこと思ってたの? それなら、可愛い中也が私のだって主張したいな」
「何をする気だ?」
「舞台上でキスするとか」
「やめろ。何もしないでいい」
「え〜。そういえば中也、あと少しで目標達成だね」
「おう」
「応援してるよ。でも、忘れないで。私は中也だから一緒に演奏してる。その事実は変わらない。私に釣り合うとか釣り合わないとか、そういうことじゃないからね」
「……サンキュ」
「さてと、おしゃべりはそろそろやめて、君のナカに入りたいな。君のだぁいすきな私の指で、解してあげる。ナカにもローション、塗り込んであげるね?」


「ンっ……ふ、ぁ」
 中也は膝立ちになり、太宰の膝を跨いだ体勢だった。既に数回達しており、感度は更に敏感になっていた。太宰の肩に置いた手が小刻みに震える。
「そんなに気持ち良さそうにしちゃって。まだ一本しか入ってないよ?」
 太宰はそのまま指を抜き挿しした。ローションも相まって、ぐちゅぐちゅと水音が響いた。
「もうぐちゃぐちゃだね、ナカも。指、増やすね。ちょっと冷たいからね」
 そう云うと太宰は追加でローションを親指以外の4本に纏わせ、中也の後孔にゆっくり挿れていった。ローションを塗りたくるように内壁をぐるりと一周する。不規則的にきゅん、と内壁が締まる。至近距離の相棒を見やると、目を閉じ眉根を寄せ、快楽に身悶えているようだった。太宰はあぁもう私も我慢出来そうにない、と悟った。
「ちゅうや、もう挿れていい?」
「いい……ぜ。挿れ、ろよ。だざいが、ほしい」
 返答を聞くと太宰は中也を抱え上げ、ベッドに押し倒した。スプリングがギシリと鳴る。脚を開かせて中也に覆い被さり、後孔に己をあてがう。アインザッツを送る時のように目線を投げると、首に腕を回され引き寄せられた。その勢いのまま、口付けが返された。準備はいいらしい。そっと腰を進める。ナカはとろけているとはいえ、指と太宰の陰茎とでは差が大きい。久しぶりだったこともあり、ナカは狭く感じられた。
「ちゅうや、力、もう少し抜ける?」
「ぁ、ンっ……、む、り。ごめ、ん」
 ポロポロと生理的な涙が頬を伝っているあたり、気持ち良くは感じているのだろう。
「おくまでほしい、のに」
 腹をさすりながら、中也は云った。
「無理やりは進みたくないからなぁ。ゆっくり解すほど私にはもう余裕ないし。うーん……。じゃあ中也、私に委ねてくれないかな」
「ゆだ、ねる?」
「そう。いつも一緒に弾く時みたいに。私に委ねて。気持ち良すぎて不安なんだろ? 私を信じて、自由に感じて」
「……ん、わかった」
 中也は瞳を閉じると、深呼吸した。緩んだのを見逃さずに、太宰はグッと己を一気に突き立てる。コツンと奥に触れた瞬間中也の背が弓なりにしなり、キツく締め付けられた。何とか吐精を耐える。
「だ、ざい」
 名を呼ばれると、縋るように腕を背中にまわされた。中也の方に躰を寄せ片腕で自身の体重を支え、反対の手を頬に添える。
「うん、大丈夫。ここにいるよ。そっか、ドライでイっちゃったか」
「しげきがつよすぎだ、ばか」
「いいじゃない、別に。こんなにも感じてくれて、私は嬉しいよ」
「今夜はほんとに、なんか素直だな」
「たまには、ね。それよりちゅうや、動いていい? 私、さっきの耐えちゃったから色々限界なの」
「それならさっさとよこせ……ア、んっ」
 突然動き始めた太宰に文句を云う余裕が中也にはなかった。この身を穿つ熱に酔痴れ、太宰に云われたように委ね、ただ感じたままに表現するのみだ。
「もっと。だざい、もっと」
「君こそ、今夜は甘えた……というより欲張りさん、だね。いいよ、もっとあげる」
 中也の腰の下にクッションをかませ、膝を持ち上げ挿入角度を調節し、より深く穿つ。
「ンっ、ん……きもちいっ、アっ、だざい、」
「ん、なぁに?」
「す、き。……アッ、ン……っ、イく」
「わたしも。わたしもすきだよ、ちゅうや」
 そして、中也の胎内に熱い欲が吐き出された。あまりにも熱くて甘くて愛おしくて、中也は絶頂の波にのまれて意識を飛ばしたのだった。


 中也が目覚めると、時計の針は朝の10時を指していた。
「あ、中也おはよう。……大丈夫? 流石に気絶された時はびっくりしちゃったよ」
 部屋着姿の太宰がベッドの傍に立っていた。水の入ったグラスが乗ったトレーを持っている。
「大丈夫だ。俺も気を失うとは思わなかったぜ。体も洗って服も着せてくれたんだな。サンキュ」
「うん。それは別に構わないさ。結果的に私がそうさせたようなものだし。なんだか満たされたよ、心も体も。中也が私を求めてくれて、嬉しかった」
「俺もその、久しぶりに何というか……太宰を充電出来て、素肌で感じられて良かった」
「ところで、体動かせる? 最後は結構激しく抱いちゃったからさ。あと、水飲む?」
「おう、体なんて動くわけねェだろ。水は飲む」
 中也がそう云うと、太宰はサイドチェストにトレーを置いた。中也の体を抱き起こし、水を飲ませた。
「やっぱり? じゃあ今日は初詣も止めて、ただベッドの中でごろごろする日にしよう。もちろん一緒にね」
 太宰は布団をめくり、中也の隣へごろりと寝転んだ。そしてもぞりと体を捻り、中也の方を向く。
「それで、回復したら一緒にお風呂だよ。ま、暫く無理そうだけど」
「そうだな。……ここ、テレビもないしどうする? もう十分寝たし、セックスもしたし。あ、次の双黒の演奏会の曲目でも話し合うか?」
「あのねぇ中也。今はオフなんだし一緒に過ごせる貴重な時間なんだから、仕事の話は止めにしよう」
「……それもそうだな。一緒に仕事するし一緒に暮らしてるから、境目が曖昧になりやすいんだよな。ごめん。じゃあ、何を話す?」
「好きな曲について語るからさ、聞いてよ。中也の意見も聞いてみたいし。何となく君の好みも知ってるけど、語る機会って案外なかったでしょ? まさにこういう時にしか出来ないからさ。どうかな」
「わかった。聞いてやるよ、太宰の好きな曲」
「そうこなくっちゃ。まず、一番好きな曲はね――」

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