5.月の光に照らされて*

 どうやら目が覚めてしまったらしい。
 
 まだぼんやりとした視界と頭のまま、中也は徐に目覚まし時計へと視線を移した。午前2時。今日は散々だった。滅多にしない朝の寝坊から始まり、慌てて練習場所へ行こうと電車に飛び乗るも人身事故の影響で更に遅刻する羽目になった。それだけではない。朝のことが尾を引いたのかレッスンはいまいち集中できず、先生に怒られてしまった。原因は分かっている。ずばり、太宰だ。付き合い始めてもう何年だろうか。付き合いたてならまだしも、こんなに月日が経っているのに太宰のことが頭から離れない時がたまにあるのだ。いつもはここぞとばかりに練習する。音楽はやはり好きなので、いくら練習しても飽きないのだ。そうしてこのどうしようもない感情と衝動を音楽に叩きつけて、発散していた。定期的にこうなってしまうことはうすうす気が付いていたので、今ではわざと忙しくしてやり過ごしている。ついに、やり過ごすことも出来なくなってしまったのだろうか。
 ふと隣にあるはずのぬくもりが無いことに気が付いた。今夜も――そう、先程まであんなに愛し合っていたというのに、まだ足りないとでも云うのだろうか。中也は下着だけ身に付けて、覚醒しきらない目をこすりながら太宰を探す。探すと云っても、ふたりが借りているアパートはそこまで広くない。2LDKだ。二部屋のうちのひとつは手作りで防音室にしてある。もう一部屋は中也と太宰の寝室だ。いる場所なんて限られてくる。寝室を出て、ふと練習部屋の近くを通りかかると、ドアが開きかけていた。ここに彼が居そうで、吸い込まれるように覗いてみる。
 そこには月の光に照らされた太宰とヴァイオリンの姿があった。
 普段、練習する時は生地の厚い遮光カーテンが光を遮断している。しかし、今はカーテンが開け放たれ、視線を遮るためのレースカーテンが見える状態だった。月の光がカーテンを通して淡く降り注ぎ、無音で静謐な空気感の中に佇む太宰とヴァイオリンは、兎にも角にもうつくしかった。
 こんな時間に練習だろうかと思って見ていると、太宰が動き出した。ヴァイオリンをまじまじと見つめたかと思うと、さも愛しいという様子で抱き締めた。しばらく抱き締めていると、今度は楽器の側面を人差し指でなぞり始めた。つつっと下から上へゆっくり丸みをなぞる。そして、表板の真ん中辺りに唇を落とした。

 ――これは間違いなく、いけないものを見てしまっている。

 そうは思うものの身体は動かない。中也の楽器に施されている愛撫は、嫌でも情事を思い出させた。熱が再び灯ったのが分かった。ドアの前に座り込み、顔だけは太宰を見られるように首をひねる。体勢が整うと、自身に手を伸ばした。下着の上から緩く扱くと、思わず声が漏れそうになった。太宰は楽器の至る所に唇を落としている。触れられているのは楽器なのに、まるで自分にされているかのような感覚に溺れていくのだった。漏れそうになる声を噛み殺しながら、扱く速度を速めていく。下着にシミがどんどん広がり、ぐちゅぐちゅと音を立てた。それでもまだ足りなくて、自身に直接触り、空いた方の手で胸の突起を触る。
「ん……っ」
 声が漏れ出てしまった。それでも構わずに、自身への愛撫を続ける。
「んん……、ンっ……、アっ……!」
 軽く絶頂を迎えたが、身体はやはり太宰をもとめているようだった。その時、
「ちゅうや、そろそろおいで。覗き見なんて趣味悪いんじゃない?」
 太宰の呼ぶ声が聞こえた。中也はこんな状態で抗う術もなく、素直に声に従うことにした。
「ちゅうやったら、えっち」
 欲にまみれた中也を見るなり、太宰はこう云ったのだった。
「いつから気付いてた? つーか手前も人のこと云えねェだろ変態」
「うーん、最初から気が付いていたよ。入ってくるものだと思ってたのだけれど、まさかひとりえっちし始めちゃうとはね」
「俺も俺の楽器がこんな目にあってるとは気が付かなかったぜ」
「それはお互い様でしょう? それより中也、私が欲しくて仕方ないんじゃないの?」
 即座に否定しようとしたが、自身の状態からして全く説得力がないので何も云えなくなってしまった。
「もう一回抱いてあげるから、おねだりしてよ」
「……いやだ」
「それなら、そのままでいいの?」
「ちがう、そういうことじゃねェ」
「だったら何?」
「足りねェ」
「うん?」
「手前、云わせたくて分からないフリしてるだろ?」
 これだから、太宰は質が悪い。
「だから何? 云わないと抱いてあげないからね」
「……っ、1回じゃ足りねェ。もっと、太宰が欲しい……」
 その言葉には、遠慮と恥じらいがこもっていた。
「よくできました。ちょっとだけ、素直になったね」
 というと楽器をケースにさっとしまい、中也を抱き締めた。
「ねぇ、どうしてほしい?」
「……、さわれよ」
 中也は、羞恥に頬を染めながら云った。
「何処を?」
「ぜんぶ」
「君ってば欲張りだねぇ」
 すると太宰は中也の手を引き、月光が届く壁際へと誘った。
「ここでヤるのか……?」
「嫌だった? といっても、もう我慢できないでしょ。それに、月の光のおかげで君の顔がよく見えていいと思って」
 太宰はそう云うと早速愛撫を始めた。壁際に中也を立たせ、つま先から順番に甲から脹ら脛、太腿へ蛇が這うように触れていった。
「触られるのが好きなのは、相変わらずだね」
 中也は太宰に手で触られるのが好きだった。触れられるだけで感じてしまう程に。感じやすい太腿の内側ばかり愛撫していると、中也が抱き着いてきた。太宰は空いている片腕でぎゅっと抱き締め返してやる。中也の口からは、声にならない甘い吐息が漏れていた。
 今度は左手を臀部に這わせる。右手で腰のラインをなぞり、あやすように背中を撫でてやる。そのまま暫く愛撫を続けていると、中也の腰が揺れ始めた。
「ちゅうや、腰揺れてるよ。そろそろナカも触ろうか?」
 尋ねてみると、中也はコクコクと頷いていた。「今回は慣らすのローションでいいかな?」
 中也の手フェチが高じて、いつもは唾液で慣らしているのだった。今回は特に中也の余裕がなくなってきているので、ローションでもいいかと思ったのだ。
「だざいの、手……」
「良いけど、はやくね。あ、さっきもシたし、そんなに慣らさなくてもいいかも」
「いやだ。手、はやく貸せ」
「もぅ、しょうがないなぁ」
 太宰は大人しく手を差し出した。実は、中也に手を舐められるのは満更でもない。ただ、理性が焼き切れそうになるから嫌なのだ。特に余裕がない時は。指を舐められている時の感触と手に降りかかる桃色吐息。中也の姿に熱の高まりを感じながら、嘆息したのだった。「もう、いいぜ」
 そう云われると、散々舐められた右手を後孔に添えた。期待するかのようにヒクヒク蠢いているのが分かる。
「君は今まで、我慢しすぎだったんだよ」
 後孔に指を挿れる寸前のところでくるくると孔をなぞりながら云う。
「中也からなかなか求めてくれないのは、君の性格からして分かってたんだけど、周期まで分かるようになってしまうと焦れったくてね」
「なん、だ……? はやくし、ろ」
「あぁ、今云っても伝わりそうにないね。分かったよ。今は仰せのままに」
 いくよ、と云い一気に指を突き立てた。中也から嬌声があがった。先程もひと通りのことはしているので指は思った通り、すんなり挿入っていった。内壁をくるくると、ゆっくりなぞっていく。浅いところから深いところまで、じっくり触れてやる。時々好い処に触れるのだろう、媚肉が太宰の指をきゅっと締めつけた。何往復かしてふと中也の顔を見やる。
 月の光に照らされたその貌は、すっかり融けきっていた。
 愛しさが込み上げてくる。
「気持ちいい?」
「もちろ、ん」
「うん、それなら良いんだ。もっと、私を求めたっていいんだからね。もう、我慢しないで」
 太宰がそう云った瞬間、一層締めつけが強くなった。
「……っ、ばか、なんでそんな、こと、」
「だって、さっきも云ったけど、まだ我慢してるでしょ」
「そんなこと」
「あるから云ってるんだよ」
「君の口でまだ云えないのなら、君を散々甘やかすことにしよう」
 そう云うと太宰は中也の好い処を集中的に指で触り始めた。徐々に触れ方を激しく突くように変えていく。
「やっ、こんなっ、あァっ……!」
「中也、何回でもイってもいいからね。あ、そういえばまだ胸は触ってないね」
 足に力が入らなくなってきている中也を壁に押しつけ、片手を胸に這わせる。胸の突起を潰すように触れる。
「だ、めっ……、イく……!」
 胸を触ってすぐに、中也は白濁を吐き出した。指を抜き、快楽に震える中也を抱きしめる。
「まだ、足りないでしょう?」
「あっ……、んっ、まだ……でも、」
「ほら、また我慢しようとしてる。君はどうしたいんだい?」
 少しずつ正直になれるようにさせてやる。
「まだ……、シてぇ」
「じゃあ、どうしてほしい?」
「キスしたい。でも、ナカも触ってほし、い」
「わかった」
 見つめあうとどちらともなく唇を合わせた。1度触れ合いまた見つめ合うと、今度は深く口付けあった。同時に再び後孔に指を挿し入れ、好い処を突くように触れていった。嬌声は口付けの中に消えたが、漏れない声がいっそう互いの感覚を敏感にさせ、高ぶらせた。指を締めつける媚肉は口付けに合わせて絡みつくのだった。
「ん、んん……っ!」
 暫くすると中也は2度目の絶頂を迎えた。
「ちゅうや、」
「……あと、いっかい」
「今度は?」
「こんどこそ、だざいがほしい」
「……はー、やっとだ! 心からの言葉が聞けて嬉しいよ。お預け状態だったんだからね。ちゃんと最後までよくしてあげるから安心して」
 太宰は自身を取り出すと、後孔にあてがった。今回はじっくりしてやるつもりでいるし、なんとか理性が保てているのでゆっくり挿入していった。散々触っていたこともあり、するすると挿入っていった。
「ん……っ、やっと、繋がれたね」
 繋がりあえた喜びに、お互い抱きしめあう。暫く抱きしめあった後、律動を開始する。「ん……っ、だざい、もっと」
「そんなこと云ったら加減できなくなるじゃない」
「がまんするなっていったの、てめぇだろ。……あぁっ、」
 律動を激しくしていく。
「やっぱりそっちのほうが君らしいや。んっ、そろそろイきそう……っ」
 腰をがっちりと持ち、打ちつける。
「アっ、ふ、かい……っ!」
「ちゅうや――――」
「だざい……!」

 翌朝目覚めると、隣に愛しいひとが眠っていた。時計を見ると午前10時。起きるには丁度いいタイミングだ。疼く腰を労りながら愛しいひとを揺り起こすが、なかなか起きてくれない。
「だーざーいー、おーきーろーよー」
「なぁ、起きろよ」
「なぁ……!」
 彼奴がこれだけ起きなかったことはあるのか? いや、ない。大丈夫なのだろうか。昨夜のことを思い出し、赤面しつつ考えを巡らせた。ある結論に辿り着いた。「彼奴は狸寝入りしている」と。何故だ、と考える。思い当たる節はあった。
「太宰、起きてくれよ」と云うと中也は太宰に口付けた。すると、ゆっくりと瞼が開いた。
「……おはよう、ちゅうや」
「何がおはよう、だ。狸寝入りしてたクセに」
「えー、せっかく君の願いを叶えてあげたというのに」
「俺の願いは……って云わせる気かよ」
「ちょっと、素直になりなさいと昨日あれほど云ったのに素直じゃないね?」
「手前が云ってたのは我慢するなだろうが」
「大体趣旨は同じだよ。で、君の願いは?」
「なぁ、何で手前は分かってるのに云わせたいんだ?」
「だって、直接聞きたいじゃない」
「そういうもんなのか?」
「そうだよ。で、君の願いは?」
「ちくしょう……、太宰にキスで起こされたい、って起こしたの俺じゃねぇか!」
「うん。だからね、ほら、こっちおいで」
 お返しと云わんばかりに、太宰は中也に口付けた。
「今度はちゃんと抜き打ちでやってあげるから、楽しみにしておいてよ」
「わかった。楽しみに、して、る」
 語尾がぎこちなくなる。
「もー、照れ屋さんなんだから。全力で楽しみなクセにね」
「……」
「否定しないんだね」
「……おう。それで、昨日云いかけてたことが気になっているんだが」
「あ、なんだ、覚えてたんだね」
「引っかかってたから覚えてたんだよ。俺が如何したって?」
「うん、それなんだけどね、結論から云おう。君は満月になるにしたがって、私がたまらなく欲しくなってしまうのだよ」
「は?」
「は? って云いたい気持ちも分かるけれど、周期がぴったりなんだよ。私が君を半年観察してきた結果だ。ぴったりだったのはたまたまだと思うんだけれどね。最初はセックスする時に君が妙に我慢してる時があるなって思ったんだよ。強がってるだけだと思うんだけど、あまりに周期がブレないものだから気になってきちゃって。だから昨夜は兎に角快楽に耽らせてあげようと思ったんだ」
「それで、我慢するなと?」
「うん。中也ってほんとうに分かりやすいよね。私を避けるみたいにスケジュールいっぱい入れちゃってさ、月に嫉妬しちゃったよ。でも、逆に私でいっぱいにしてあげれたら、こんな気持ちにならなくて済むということに気が付いたのさ。もう我慢なんてしないでよ。私は、どんな君でも受け容れるよ」
「……俺、今まで太宰を求めるのが怖かったんだと思う。手前には助けてもらってばかりで、セックスの時まで求めていいのかって思ってたんだ。だって独り善がりだろ?」
「君がそれを云ってしまったら、私はどうなるんだい? 君のヴァイオリンにあんなことしてたんだよ?」
「そういえば、あれはなんでやってたんだよ?」
「えー、単純に君が足りなくて、君の分身のような、君のヴァイオリンに触れたら気持ちが紛れるかなと思って」
「で、ご感想は?」
「生身がいちばん」
「それを聞けて安心したぜ……」
「生身がいちばんなんだけれど、あの行為は一度だけじゃないよ」
「じゃあ、いつからなんだ?半年前か?」
「もっと前。かれこれ1年になるかな。あれにはね、やっぱり君に追いついてきて欲しいという思いと、この先も君が上手くいって欲しい思いと、狂おしいほど君が欲しい思いが混ざってるんだ」
「最早おまじないとは思えないな」
「はは、おまじないなんて生温いものじゃないだろうね。いっそ呪いかな」
「呪いか。別に、いいんじゃねぇの」
「いいの?」
「いいさ。だって、どんな俺でも受け容れてくれるんだろ? それなら安心だ」
「そうだよ。少しだけでいいから、自分の気持ちに素直になってよね。私はいつでもウェルカムだから!」
「じゃあ早速なんだが」
「なんだい?」
「『月光』を弾いてくれよ。昨夜ヴァイオリンに触れる手前の姿を見て、聴きたくなっちまった」
「君の望みならば。さぁ、移動しようか」

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