1.あの時の調べをもう一度*

memo

私の全てはここから始まりました。
パロディ故に、ねつ造満載なのでご注意ください。

【人物紹介】
 太宰治…音楽大学2年生。両親ともに音楽家。得意な楽器はヴィオラだが、他にヴァイオリンやピアノなど扱える楽器は多い。所謂天才。絶対音感持ちで、強すぎる音感のせいで周囲に合わせるのが苦手。中也とは近所の幼馴染で、小学生の頃は中也と同じ音楽教室に通っていた。
 中原中也…音楽大学2年生。楽器はヴァイオリン。絶対音感も少しあるが、どちらかというと相対音感の方が強い。性格の所為もあり、よくアンサンブルのメンバー勧誘にあう。よって、文化祭のシーズンは忙しい。太宰とは腐れ縁で幼稚園から同じ学校に通っている(大学も一緒)。周囲に合わせることが苦手な太宰のことを何気に心配している。それは腐れ縁、だから。昔、太宰が選んでくれた楽器を未だに愛用している。

「……だーっ、なんでここのフレーズ合わないんだよ?」
「え、だって中也が8分休符休みすぎなんだもの」
「嘘だろ……? ちょっともう一度弾いてみようぜ」
「ほらね。というか気付いてなかったの? 私気付いてたけど。ずっとそうだったよ」
「あぁもう謝る! 謝るから! 悪かった。というか気付いてたなら先に云えよ!」
「いつ気付くかなァと思ってさ。ちょっとした悪戯だよ。すぐ直せるでしょ」
「手前はこれだから……。よし、あと1回通すか。もう他はいいよな?」
「そうだね、他は問題ないさ。あとは本番だ」
「……まさか、太宰とデュオになるなんてな」


 ――――時は遡ること5年前。

 太宰は今日も、講義をサボっていた。1年の頃から自分が不要だと思った講義――主に座学には出席しないことにしているのだ。必修科目だろうとそれは変わらない。学校から注意されたこともあったが、結局は実力がものを言うようだ。次第に誰に何も言われなくなった。暇になったからといって時間を持て余している訳では決してない。貴重と云われる音源を探して購入したり、自分が好きな音楽や音楽家についてとことん調べてみたり、彼なりに有意義な時間を過ごしている。そんな中、唯一彼を講義に出席させようと躍起になっている人物がいた。
「だーざーいー、またこんな所でサボって。さっさと講義にいきやがれ!」
「『こんな所』とは失礼だよ。ここはれっきとした部室だよ。私は活動中なの」
 そう、ここは部室である。太宰が適当に部活――所謂サークルを作ったのだ。活動するための部屋がこの部室だった。
「部室っていってもそもそも部員って俺と手前じゃねぇか。しかも寛いでばかりだ」
「レポートだって年に何回か中也が提出してるでしょ。何の問題もない。それに、君自身も気に入ってくれているみたいだし」
「それは……」
 部にするためには最低3人必要だが、中也は本人の許可を取らずに人数の足しにされていた。残る一人もどこぞの誰かに名前を貸してもらったらしい。気が付いたら本棚やらスピーカーやらアップライトピアノやら、どこから調達したのか色んなものが運ばれていた。こうして太宰の楽園は出来上がっていったのだ。楽園が出来上がるにつれ、居心地が良いらしく太宰のサボり癖もひどくなっていった。それをどうにかせねばと思い、中也は日頃から部室に顔を出すようになった。しかし、最近では自分自身も居心地がよくなってきて、なんのために来ているのかよくわからなくなってきた所だ。勝手に部員にされていたが、部員は部員なので癪ではあるが研究のレポートもちゃっかり提出している。その存外律儀な所も太宰に見透かされていたように思えて、どうにも気に食わなかった。
「とにかく、講義行くぞ! まだ間に合う」
 中也が太宰の腕を掴み、連れて行こうとする。
「えー、嫌だよ。中也だけ行けばいいじゃない」
「……この講義、テスト実技だぞ?」
「は? なにそれ知らないんだけど。そんなこと書いてあったっけ」
「手前はサボってばっかりだから知らないだろうけどなァ、出席率の悪さを嘆いた教授が変更しちまったんだよ」
 選択科目であれば、太宰のような学生は割と多い。そういう学生でも出席数は計算しているはずだ。太宰は一応計算しているが、そもそも出席する気がない。必修科目かどうかでさえ太宰にとっては関係ないのだ。
「迷惑な話だねぇ……」
 太宰が面倒くさがる理由も中也は分からないわけではなかった。太宰の音楽センスは申し分ない。有名音楽家の両親の元に生まれ、幼少の頃からコンクールで優秀な成績を残してきた。そもそもそんな人間が何故日本の大学に在籍しているのか、日本に留まり続けるのか、誰にも分からない。本人が望んでいるから入学したことに間違いはないはずだ。実力が有り余っている太宰にとって、大学はさぞ退屈だろうと中也は思う。そんな太宰を大学生になってから見ていて、断言できることがある。実技科目を彼奴はサボらない。理由はこれも、分からないが。
「で? どうするんだよ」
「……仕方ない、行くよ」
 講義が始まってから30分程経過していたが、ふたりは教室の後ろからそっと入った。暫く講義を聞いていると、最後に教授が試験について話し始めた。
「――――えー、ではここで期末試験について説明します。先週も話した通り、ペーパーテストの予定でしたが実技試験に変更しました」
「ほら、やっぱりそうだろ」
「そのようだね」
「――――内容ですが、今回はソロではなくアンサンブルでやってもらおうと思います。編成は自由で結構です。曲はこの講義で紹介した作曲家でお願いします。再来週までにメンバーと演奏する曲をこの用紙に書いて提出して下さい。では、今日はこれで終わりです」
 そこからは中也も太宰も大変だった。中也は1年の頃、友人に誘われて文化祭でアンサンブルを組んで演奏していた。それが思いの外好評だったのだ。引き受ければきっちりこなす性分で面倒見も良い。あちらこちら、様々な友人からアンサンブルの勧誘をされ、時間が合えば全て引き受けていた。気が付けば、誘われた側だというのに代表格になっていたこともあった。中也自身もすっかりその状態を楽しんでいた。それ以来、中也の評判を聞きつけた友人の知り合いからも、しばしばアンサンブルのメンバーになってくれと勧誘されるようになっていた。今年の文化祭も忙しくなりそうだ。そんな中也と演奏してみたい学生はやはり一定数いて、ここぞとばかりに誘ってきた。選択肢が多すぎて、中也は誰と組むか迷っていた。
 一方太宰の方はというと、「あの太宰」と演奏できる機会というだけあって、好奇心と憧憬で誘う学生が多かった。あまりにしつこい勧誘にうんざりしたのか、一旦すべて引き受け、太宰が気に入った組に入ることにしたのだった。しかしどうにも気に入った組に出会えなかった。
 お互い組が見つからず講義が翌日に迫ったある日、ふたりは部室で疲れ切っていた。
「ちゅうやぁー、アンサンブルのメンバー、決まったぁ?」
 疲れているのか、ソファーにふんぞり返っている太宰が中也に訪ねた。
「あー、あれな。もう俺、誰と組んでいいか分からねェ……」
 回転椅子の背もたれにどっしりもたれて中也が云った。
「あはは。だって君、文化祭の時は全部引き受けてたもの。そりゃそうなるさ」
「手前の方こそ、学年主席の奴らに誘われたんだろ? なんでまだ決まってねェんだよ?」
「んー……まぁ上手なんだけどね、なんか違うんだよ」
「なんだよ、それ。また音程が如何とかか?」
「それを言い出したらほんとキリがないよ……」
 太宰には絶対音感がある。感度は極めて高い。同じドの中でも音程がある。高めのドか低めのドか、それともぴったりか。感知できる精度が圧倒的に高いのだ。自分自身で正確な基準を持っているからこそ比較ができる。普通はチューナーを使ってチューニングをするが、太宰の場合はチューナーを使わずともチューニング出来てしまう。演奏者にとっては便利な能力だ。しかし、音感が強いということはそれだけ他人の音にも敏感ということである。他人と演奏すると、真っ先に音程が気になってしまうらしい。太宰の音感は強すぎるため、他人にしたら合っている音程も違って聴こえてしまう。自身の音感が正しいことも分かっているので譲歩も難しい。だから、太宰が仕事を引き受ける時は基本的にソロの仕事だった。そして、太宰が得意なのは無伴奏の曲だ。一人で自由に演奏できる。その分、何もかもを一人で表現しなければならない。それで今までやってきたからこそ太宰の実力は本物だ。それを知っているからこそ中也は今まで太宰を誘わなかったし、少し距離を置いてきた。しかし、もうメンバーを探すことにも疲れてしまった。中也は「こうなったらもう、ヤケクソだ」と思いながら太宰に話し掛けた。
「なァ……、もう俺達でやるしかないんじゃねェか?」
「……奇遇だね、私も今それを考えていた所だよ」
 こうして、中也と太宰はデュオを組むことになったのだ。

 翌日、無事に曲名とメンバーを記載した用紙を提出し、一先ずふたりは息をついた。講義も一段落し、部室で休憩することにした。
「……なんだか、信じられなくなってきた」
 中也は用紙を提出する時になって気付いた。中也にとっては比較的近い存在の太宰だが、他生徒にとってどれだけ遠い存在だったのかを。色々な感情がこもった視線を浴びた。それでなんだか、今の状態が信じられなくなってしまったのだ。今更ながら、本当に自分が一緒に演奏してもいいのだろうか。
「残念ながら現実さ。そういえば、中也と演奏するなんていつぶりなんだろうね」
「えーと……、確か小学生の時じゃねェか?」
「あぁそうか、発表会の時だね。さて、早速練習しようじゃないか」
 そう云うと太宰はケースから楽器を取り出し、準備をし始めた。
 ふたりが選んだ曲は、モーツァルト作曲「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K.423」だ。曲名の通り、編成はヴァイオリンとヴィオラ。中也がヴァイオリン、太宰がヴィオラを担当する。両楽器とも、旋律と伴奏をこなさなければならない。切り替えが大切であり、勿論息も合っていないとバラバラになってしまう。
「え、今からやるのかよ。俺初見だぞ?」
「あれぇ? こんな楽譜も弾けないの~?」
「あァ? こんなの初見でも弾けるに決まってンだろ!」
「ふふ、落胆させないでくれたまえよ」
 そして、お互いに楽器をだし出し準備を済ませチューニングをし始める。
「太宰、このくらいか?」
 他の生徒とならチューニングも早く済むが、相手が太宰となるとそうもいかない。中也は本人に聞くのが一番手っ取り早いと思い、太宰に尋ねたのだった。
「あー、もう少し高く……、行き過ぎた。……もうほんのちょっと。……あっ! そこ! ……あーあ、また行きすぎたよ」
 ペグを少しずつ回すも、中々太宰の狙う音程にはならなかった。やり直す度に中也のイライラは募っていく。
「あのなぁ、手前が細かすぎるんだよ!」
「もう、中也じゃキリがなさそうだから貸して。私がやる……ってあれ、まだこの楽器使ってたの?」
 中也の楽器は、中也が中学生の時に太宰が選んだものだった。流石というべきか、やはり太宰が選んだだけあって、当時にしたらかなり高額だったことを中也は今でもしっかり覚えている。
「買い替えようと思った時もあったんだけどな、どれもしっくりこなくて。結局あの時のままなんだ」
「へぇ。大切にしてくれているようで何より。……はい、これで大丈夫」
「ん、サンキュ」
「じゃあ、始めから一度通してみようか。テンポはこの位にしよう」
 太宰がメトロノームを鳴らす。少しの間鳴らして、テンポを掴んだところで消す。太宰の合図を皮切りに、演奏が始まる。重音から入る。澄みきった和音の響きが広がった。中也は初見だったこともあり余裕がなかったが、なんとか一楽章を終えた。太宰にもそれなりに合わせられた、と手応えを感じていた。
「太宰、そろそろ次の講義に行きたいんだが……おい、太宰?」
「……ちゅうや、」
「あ? なんか云ったか?」
「こんなに合わせられるなら先に云ってよ! あんなに苦労しなくて済んだのに! 私がどんなに苦労したと思ってるのさ? 慣れないアンサンブルやって、やっぱりしっくりこなくて、別の人を探し続けて……。というか何? 中也のクセになんでこんなに上手くなってるわけ?!」
「はァ? 俺が手前の苦労なんて知るかよそんなの! 去年文化祭誘っても『そんなの興味ない』って云って来なかったのは手前の方だろ! そもそも俺の演奏なんか興味持ってなかったじゃねぇか」
「……まさかこれほどとは思ってなくてね」
「失礼な奴だな」
「なんで君にアンサンブルの依頼が来るのかわかったよ。さぁ、練習の続きをしよう!」 太宰はいつものやる気がない姿とは打って変わり、いきいきしていた。どうやら、太宰の練習スイッチが入ってしまったようだ。
「お、おう」
 ふたりは練習を再開し、その日は大学が閉まるギリギリまで練習をした。中也が講義に行きそびれたことに気が付いたのはその後だった。
「中也、講義行ってないね」
「……? あっ、そういえば! 太宰、手前知ってて練習続けたろ!」
「うん」
「『うん』じゃねェよ!」
「君のことだから今まで全部出席してたんでしょ? まだ余裕で休める」
「そういう問題じゃねぇ! まったく……」
「うふふ、今日は久しぶりに楽しかったし許してよ」
 中也は太宰から『楽しい』なんて言葉が聞けるとは思っていなかった。偶には太宰と演奏するのもいいかもしれない。
「今日の晩メシで許してやる」
「うーん……。そうだ、蟹缶にしよう!」
「手前マジか、それ」
 前言撤回。練習で疲れていたこともあり、中也はもうツっこむ気にすらなれなかった。そしてふたりはスーパーへ寄るのだった。


 練習を重ねるうちに、中也にも余裕が出てきた。皆の前で太宰と演奏することに対する不安も、次第に払拭されていった。そして、太宰の演奏はやはり上手い。演奏中に聴き惚れてしまう程だ。最近は大丈夫だが、太宰の音楽に入り込みすぎて弓を動かす手が止まってしまいそうな時もあった。旋律でなくとも心地善いヴィオラの音色。「中也、これ二重奏なんだから」と何度云われたことか。一人では完成しないのだ。

 俺はずっと太宰の背中を追ってきたんだった、と中也はふと思い出した。中学生になる前まで、太宰と同じ音楽教室に通っていた。幼い頃から音楽が好きだったようだ。幼稚園の時、音楽教室を見学した。同じ年の太宰が演奏しているのを聴いてありきたりではあるが、「こんな風に弾けるようになりたい」と思ったのだ。習える楽器はヴァイオリンの外にピアノやフルートやサックスなどがあり迷っていたが、当時太宰はヴァイオリンを弾いていたのでヴァイオリンに決めた。成長するにつれて才能の差を思い知ることになったが、それでも中也は追いつくことをあきらめなかった。おかげで音楽では日本一の大学に入ることができた。なんだかんだで高校まで一緒だった太宰は、大学ともなれば流石に海外の学校に行くのだろう、と思っていたが同じ大学と友人から聞き驚いた。しかし、太宰が海外の学校に行くことを想像した時、本当に自分の手が届かない場所に行ってしまうようで、もう追いつけないと思ってしまったのだ。それで少しの間、「太宰」と距離を置くことにした。入学したての頃だった。一人暮らしも慣れなかったし、学ぶことは山ほどあった。環境の変わり目は、「太宰」を意識しないようにするためには丁度よかった。文化祭ではアンサンブルをすることになり、勧誘をすべて引き受け何組も掛け持ちで演奏した。それがとても楽しいことに思えて、否、実際に色々な人と演奏するのは楽しかったのだ。だから最近では太宰のことを忘れかけていた。現実逃避していたな、と中也は気付いた。
 そういえば部室が出来てからだった。また太宰と一緒に時間を過ごし始めたのは。今年になってから、太宰がいきなり部員になってくれと中也を誘ったのだ。何でサークルなんて作ろうと思ったのだろうか。あの時中也は「なんで俺が」と思っていた。しかし、そのおかげで太宰と演奏できるきっかけになったんだから結果的に良かったと中也は思っている。中也にとって太宰と練習する時は言い合いになることもよくあるが、今はとにかく一緒に練習することが楽しかった。もう中也にとって試験なんて関係なかった。一緒に演奏していたい。一緒にいたい。どうしようもなく好きだ、太宰のことが。……? 好きだ??

 ――俺は、太宰のことが好きなのか?

「…………や」
「……うや」
「中也ったら起きてよ」
「……!」
 中也はどうやら考え事をしているうちに、部室の机に突っ伏して寝てしまったようだ。太宰に揺り起こされ、吃驚して思いっきり頭をあげた所為で太宰の額に後頭部をぶつけてしまった。
「いったっ!ちょっと、何してくれるのさ」
 涙目の太宰が云う。
「ごめん、うたた寝してた。練習するか」
 椅子からのらりと立ち上がり、ぶつけた後頭部をさすりながら云う。
「顔真っ赤だけど大丈夫? 打ち所悪かった?」
「いや、それは関係ねぇから大丈夫だ」
「それは関係ないって、どれなら関係あるの? 風邪でもひいた?」
 こういう時に限ってしつこい。
「それも違う」
「じゃあ、なに?」
 太宰にじっと見つめられる。まだ頭がぼんやりしているが、寝落ちするまで自分が何を考えていたかは覚えている。見つめられて顔が余計に熱くなる。ここまで来て、中也は自分を自分で追い詰めてしまったことに気付いた。適当にはぐらかせばよかったと後悔した。
 太宰は中也が話すのを待っている。沈黙が痛い。どうすべきか。普通に考えたら、云わない方が良いだろう。男だし、しかも試験前だ。明日が試験なのだ。それに、太宰は美人が好きらしいから。よく口説いているところを見るのだ。中也は太宰が口説いているところを見るのは嫌だったが、その理由が「太宰が好きだから」であれば納得できてしまう。「あァ、そうか、太宰のことがやっぱり好きなのか」とますますその好意を中也は自覚した。気付いてしまったからには気持ちを伝えたい。これを逃したらきっとチャンスはないだろう。中也は「頭がぼんやりしている、頭がぼんやりしている……」と頭の中で念じ、正気に戻らないうち伝えてしまえと覚悟を決めた。
「だざい、すきだ」
「……中也、やっぱり変なとこ打ったでしょ?」
 太宰は中也の告白に驚き、目をぱちくりさせている。太宰が驚く姿を見せるのは珍しい。偶にはいいだろと中也は思った。
「すきだ、すき。好きなんだ……」
 ここまで来たら、もうどうにでもなれ。中也は心のままに、太宰に抱きついてみた。殴られるだろうな、明日の試験も終わりかと考えたが、一向にふり払われる気配すらない。ぼんやりしていた頭も冴えてくる。自分がしたことの恥ずかしさで、顔が熱くなってきた。
「中也」
 まだ顔をあげたくなかったので、ぐりぐりと頭を押し付けてみた。
「顔をあげてよ、中也」
 太宰は優しく云った。中也は声色で太宰が怒っていないことは分ったものの、恐る恐る顔を上げた。すると、太宰の顔が迫ってくる。そして、唇が唇に触れた。何秒か触れたままでいて、ゆっくりと離れていく。
 中也は今起きたことに頭がまったくついていかず、茫然としていた。
「まったく君はもう……、どうしてこうも想定外になるのかなぁ……」

 そして、太宰は語り始めた。

 ―――ねぇ解ってるの、中也。私がどれだけの間、君を待っていたか。幼稚園の頃から中也のことは知っているけれど、あの時君はこう云ったんだ、「だざい、ぜったいおいついてみせるから、まってろよ」と。あの頃から既に才能を発揮してきた私は、憧れの対象になることが多かった。皆私みたいに弾けるようになりたいと口を揃えて云うけれど、実際に私を追ってくる人はいない。どこかであきらめてしまうんだ。だから君が他の奴らみたいにあきらめないで追いかけてくれて、素直に嬉しかった。目標が常に年上の奏者になってしまう私にとって、同じ年の君の存在は大きかった。近くで見ていたかったから、両親にも無理を云って君と同じ学校に通うことにした。君は私の期待を裏切らず、成長しつづけてくれたよ。クラスは違ったけど、ずっと見守っていたんだ。 ところが大学に入ってからの君はどうだい? 新しい環境の中で別の楽しみを持ってしまったように私には見えたよ。私に向けられる情熱が他のことに向けられてしまうのは、なんだか許せなくてね……。好意に気が付いたのはその時さ。それからもう一度私を見て欲しくて考えた。まずはサークルを作って、少しずつ距離を縮められたらいいと思った。実技の講義をちゃんと出席していたのは、今みたいにいつか、君と演奏できる可能性があると思ったから。久しぶりに君と演奏して、音楽の楽しさを思い出したよ。でもやっぱり君と一緒だから善いと思うんだ。試験のために他の奴らと組もうとしたけれど、どうにも納得できなかった。それで最後に思いついたのが君と組むことだよ。久しぶりに君と演奏した時は、君自身の成長に驚いた。去年の文化祭には嫉妬心が顔を出して聴きに行かなかったのだけれど、きっとその経験が良かったのだろうね。 さっき部室に着いたら君が寝ていて、起こしたらいきなり告白されて。距離が縮めばいいとは思っていたけれど、まさかこんな一気に進んでしまうなんて予想外もいいところだ。ここまで私を追いかけてくれたことといい、君のことは本当に……、好きだよ。

 太宰の独白を中也は黙って聞いていた。話を聞くうちにぼんやりしていた頭も元に戻ってきた。どうやら両想いらしい。太宰に正面からそっと抱き締められる。
「ずっと俺のこと、見ていてくれたんだな。何も知らなかったぜ」
 中也は抱き締められたまま、太宰の顔を見て云う。
「そうだよ。気持ちを伝えられてよかった。……さて、中也は充分私に追いついてきているし、これで私が日本に居続ける理由もなくなったわけだ」
「……海外へ行くのか?」
 折角気持ちが通じたというのに。太宰が海外に行くことを想像すると、中也はやはり悲しくなってしまった。じわりと涙が滲む。
「そんな顔しないで。泣かないで……? 君なら私をまた、追いかけてくれるだろう?」
「それ……は、そう、だけど、」
 太宰の指で優しく涙を拭われる。涙が余計に出てきて止まらなくなった。思った以上に、太宰と一緒に居たい気持ちが強かったのだ。
「中也、大丈夫だ。明日になれば分かる」
 太宰の言葉に、中也は何も分からず首を傾げた。その後取り敢えず明日は試験だからとひとしきり練習し、お互いの家へ帰ったのだった。


 翌日、講義の時間になると学内にある小ホールへ生徒たちは集まった。しかし、観客は講義を受けている生徒以外にも大勢来ている。講師までいるようだ。ホールは満員になっていた。
「太宰、これは一体どういうことだ?」
「中也、考えてみたまえよ。今日はこの私が試験の一環とはいえ演奏するのだよ」「まァ、確かに手前が演奏するのは学内じゃ珍しいからな。でも、いくらなんでも満席になるのか?」
「今回は私が珍しく集客を頑張ったのもあるのだけれど、それだけじゃない。『相棒ができた』と云ってあるのだよ」
「相棒……ってまさか、」
「そう。君のことだよ。だから今日はよろしくね、相棒」

 それからあっという間に他の生徒の演奏が終わり、いよいよ最後、中也と太宰の出番になった。ふたりはほどよい緊張感と高揚感に包まれながら入場する。楽譜を譜面台にセットし、中也が太宰の方を見るとふわりと微笑まれた。不覚にもドキっとしてしまった。「駄目だ駄目だ、集中しなくては」と言い聞かせる。呼吸を整え、弓を構える。アイコンタクトをする。さぁ、楽しい音楽の時間だ。演奏が始まると、中也は観客がいることやこれが試験ということも全てどうでもよくなった。ヴァイオリンのメロディから始まる。ヴィオラが伴奏する。メロディが入れ替わる、また元に戻る……。それを繰り返してやがて掛け合いになり、混ざり合う。旋律が宙を舞う。それは軽やかなのに決して離れることはない。やがてふたりの音楽はホールいっぱいに広がっていった。中也が気付いた頃にはもう演奏が終わっていて、観客からのあふれんばかりの拍手の音で演奏の終わりに気が付いた。太宰に背中をトンと叩かれ、ふたり揃ってお辞儀をし、退場したのであった。
「中也」
「おーい中也、戻ってきて……!」
 楽器ごと太宰が中也を抱きしめる。ヴィオラを持っていない方の手で中也の背中をあやすように撫でてやる。
「……だざい? あれ、終わった、んだよな……?」
「私との演奏が良すぎて音楽の世界に浸るのは善いけれど、ちゃんと戻ってきてよね」「俺、演奏が始まったらすごく楽しくて。何もかもどうでもよくなっちまったんだ。迷惑かけたな」
「迷惑だなんて。相棒の務めさ。私もとっても楽しかったよ」
 数週間後、試験の結果が発表された。一番上のSの評価だった。
「まぁ、当然の結果だね」
「それはいいんだが太宰、これはどういうことだ?」
「え? なんのことかな??」
「手前は絶対一枚かんでるだろ。留学ってどういうことだよ」
 張り出された試験結果表には「Sランクのグループには留学の権利を与える」と記載されていた。
「私はただ『折角実技試験にするならご褒美があってもいいのでは?』と提案しただけだよ。どうやら皆私に海外へ行ってもらいたいらしいね」
「そりゃそうだろ。手前ほどの実力を持ちながら日本にいるだなんて、誰も望んじゃいねェ。……ん? 手前が進言したということは、もしかして最初から全部知ってたのか? 知らないのは俺だけだったのか?」
 中也が太宰の胸ぐらを掴む。
「まぁまぁ。そう怒らないでよ。ずっと留学のことは考えていた。私でありながら残念なことだけど、当時は自信がなかったのだよ。だから、こんな回りくどいことを考えたわけさ。でも、君と演奏した今なら云える。ずっと、中也と一緒に演奏したかったんだ。デュオを組みたい。そして、一緒に留学してくれないかな?」
「……学校が留学費用も払ってくれるみてぇだし、こんな機会を無駄にするわけにはいかねェ。仕方ない、いいぜ」
 そういう中也の耳は赤くなっていた。
「あれぇ、私が一人海外に行くと思ったら泣いてたクセに。本当は嬉しいんでしょ?」
 中也は「うるせぇ。少し黙ってろ」というと太宰のループタイを思いっきり引っ張る。
「ちょ、なにす……ん……、」
 中也が太宰に口付けた。
「じゃあよろしくな、相棒」
「……ゆっくり待とうと思ったけど、いろいろすっ飛ばしそうだよ」
 太宰はぼそりと呟く。
「なんか云ったか?」
「いいや何も。今日の晩ごはんは何かな~と思ってね」
「昨日は肉だったから魚にするか。……てかまた俺が作るのか? 手前もやればできるんだから偶には作れよ」
 付き合い始めてから、ふたりの距離は以前よりぐっと近くなった。住んでいる場所は違うものの、夕食はどちらかの部屋で一緒に食べるというのが日課になっていた。
「だって、料理は君の方が上手いのだもの。だから作って?」
「……仕方ねぇなぁ」
 太宰にそんなことを云われると、中也は嬉しくて結局作ってしまう。惚れた弱みだろうか。つくづく甘いなと中也は思った。
 中也が住むアパートに着き、部屋に入って楽器ケースや鞄を置くと、太宰が後ろから抱き締めてきた。
「どうした? 太宰」
「今日の君は大胆だったなーと思って。人気がないとはいえ外でキスされるとは」
「……ただ驚かせたかっただけだ。音楽ではまだ敵わないからな!」
 云い終わると、くるりと体の向きを変えさせられた。
「本当にありがとう、中也」
 太宰に口付けられる。いつもなら一回なのに今日は違った。一度触れ合った後、角度を変えて何度も何度も口付けてくる。甘ったるい。不思議と嫌ではなかった。
「ちゅうや」
 どこかうっとりとした表情の太宰にそのままベッドに押し倒される。緩まった唇を割って太宰の舌が入り込んできた。口付けはもっと深くなり、歯列をじっとりとなぞられ上顎を擽られる。ゾクゾクした感覚が背筋を駆け上がった。気持ちいい。同時に愛しさが込み上げてきて、舌を絡ませた。太宰の首に腕を回した。


 ――どれだけの間口付けしあっているのだろう。あれからお互いあふれた気持ちが抑えきれなくて貪るように互いを食んでいる。水音が部屋に響きわたる。体勢はあれから何度か変わり、今は太宰の膝の上に中也は乗せられていた。
「だざい、もうっ……イきそう」
 何分経ったか見当もつかないが、兎に角長い間愛しい人に快楽を与え続けられた結果だった。服は太宰に「汚れちゃうよ?」と云われ脱がされた。ついでに太宰も服を脱ぎ始めた。つまりはお互い裸ということだ。
「キスだけしかしてないのにね」
 軽い口付けを続けながら太宰が云う。触ってもいないのに中也自身からはとろとろと先走りが流れていた。服を脱がせたのは、こうなることを知っていたからに違いない。
「うるせっ……」
 口付けがまた深くなった。この感覚は忘れられそうにない。快楽に耽っていると、いきなり舌を吸われた。驚く暇もなく中也は欲を吐き出した。すると漸く唇を解放され、再びベッドにそっと押し倒された。
「君を抱いていいかい?」
「……手前それ今更聞くか?」
「それはそうだけど、一応聞いておこうと思って。いや、一応なんかじゃ駄目だよ。君のことは大切にしたいから。キスしたら満足できるかなと思ったんだけど、キスし始めたら今日は止まらなくなっちゃった。だって君と一緒に演奏できることになったんだもの。勢いでここまできちゃったのは謝るよ。それで、いいかな……?」
 太宰が真剣な顔をしていて、中也は珍しく感じた。練習ではいつも喧嘩してばかりだった。夕食を共に食べるようになった今は、どちらかというと笑うことが多い。
「善いに決まってる、だろ。駄目ならとっくに蹴り飛ばしてる。というか俺は抱かれる側なのか?」
「えぇ? だったら中也は私を抱きたいの? というか男の抱き方知ってるの?」
「……、知らねぇから抱かれてやるよ。そういう手前は知ってるんだな」
「私の情報網をなめないでくれたまえ。大丈夫、優しくするから」というと太宰は中也の胸の突起を触り始めた。先程達したばかりなのか少しの刺激も快感に変わってしまう。声が出るのを最初は我慢していたが、ぷにぷにと突起を押されたり引っ掻くように触られたりするうちにどうにも我慢できなくなってきた。
「ンっ……」
 自分でも信じられない程甘い声が出た。恥ずかしい。
「中也ってば感じやすいんだねぇ。かわいい」
 今度は左胸を口で吸われ、舐められる。右は指で弄られたままだ。
「んンっ……あっ」
 見る間に先走りの液が再び溢れてくる。俺ってこんなに感じやすかったっけ、と中也はぼんやりしてきた頭で考える。すると、太宰の手が目に入った。指が細長くて、少しだけ骨ばっていて、うつくしい。きれいな手。それを見て、こんなに感じてしまう理由が分かった気がした。太宰の手が好きなのだ。考えているうちに太宰の手はつつっと下りてきて中也の腰を撫でスッと腹を撫で上げた。太宰が愛おしそうに笑んでいる。
「……っ」
 これだけでも感じてしまう自分が浅ましい。
「ちゅうや、舐めて?」
 太宰が手を口元に差し出してくる。うつくしい手が目の前にある。ゴクリと唾を飲み込む。差し出された指を丁寧に傷つけないように、一本一本舐めていく。
「……とても丁寧に舐めてくれるんだね?」
 恍惚とした表情で太宰が云う。
「あァ。楽器を弾く大切な指だからな」
 じっとり指を舐りながら答える。
「そこまでしなくてもいいんじゃないかい?」
「てめぇの手がすきなんだよ。きれいだ」
「若しかして、すごく感じてたのもそのせいなの?」
「たぶん、な」
「なにそれ堪らないんだけど。もういいよ、ちゅうや」
 太宰は優しく云うと両脚を広げさせ、後孔に指を宛がった。つぷりと人差し指を挿れていく。思った以上にするすると入っていった。
「……大丈夫かい?」
「……大丈夫だ」
 馴染むのを待って抜き差しされる。様子を見ながら今度は中指も加えられる。それを繰り返し、だんだんと挿れる指を増やされていった。異物感はあったものの、それは次第に快楽へと変化していった。指を増やされる度にきれいな指を汚している背徳感と得られる快楽が綯い交ぜになっていった。ゆるゆると抜き差しされる。思わずまた嬌声が漏れ出ていた。
「気持ちよくなってくれて嬉しいのだけれど、そろそろ挿れたい、なぁ」
 余裕なさげな表情だった。その表情がまた艶っぽくて欲を更に掻き立てる。太宰の顔を引き寄せて口付ける。
「いい……ぜ」
 太宰は余程余裕がなかったのだろう。許可を出した途端指を抜かれ、一気に貫かれた。「ああぁっ……!」
 あまりに突然の刺激に、身体が仰け反る。すぐに律動が始まる。
「ん……っ、ごめん、もう我慢できない。君ってば煽りすぎ。私よく耐えたよ。加減もできないから、覚悟してよね?」
 これはとんでもないことになったと気付いた時にはもう遅く、太宰に深く激しく揺さぶられる。
「あ、ア……ンっ、もっ、イく……!」
「私ももうちょっとでイけそう。中也のナカ、すっごく気持ちいい……。だから、もう少し待って……」
 そして、「一緒にイこう?」と云うと太宰は中也自身の根本を親指と人差し指でキュっと締めた。
「~~~~~っ!」
 もう言葉にすらならなかった。早く解放されたくて懇願したくなったが、太宰と一緒に達することの方が魅力的に思えた。なんとも愛しくなって、腕を太宰の背中に回す。太宰も中也の背中に腕を差し込み、抱き締めあう体勢になったと思ったら、そのまま抱き起された。対面座位だ。自分の重さで繋がりが余計に深くなる。快楽に耐えるため、思わず肩に爪を立てる。
「……っだざい……」
「イくっ、ちゅうや」
 互いを抱き締め、ふたりは果てた。中也は大きすぎる快楽にビクビクと身体を震わせた。太宰にとってはそれすらも愛しくて、震える身体ごと暫くの間抱き締めていた。


 ――――時は冒頭に戻る。ここは、ヨーロッパのとあるコンサートホール。ゲネプロ中だ。
「……それで、この曲が終わったら一旦はけて、中也と出てこればいいね」
 太宰が舞台袖に向かってくる。
「どうしたのさ、ぼーっとしちゃって」
「……今までのことを思い出しててな」
「そう。感慨にふけるのは演奏会が終わってからにしようよ。さ、行こう」
 中也は太宰に手を引かれ、ステージに出る。この会場は、太宰とあちこちまわりながら探して決めた。客席は200人程。小規模ではあるが音の響き方が気に入ったのだった。聞いた話では今日の演奏会は満席らしい。日頃の活動のおかげだろうか。 中也と太宰は、留学してから兎に角レッスンに励んだ。海外の学生の演奏を聴くことが刺激になり、自分たちも今のままではいけないと痛感したのだ。留学先の大学の寮と大学を往復する生活だった。お互い個別のレッスンの時もあり、思っていたよりも一緒の時間は少なかった。しかし、寮に帰ってくると顔を合わせ、夕食を共にした。大学を卒業した後はヨーロッパに戻り、ふたりで部屋を借りた。すぐに演奏活動を開始した。街の小さなパブやバーなどで演奏した。ある日、いつものようにふたりで演奏し帰ろうとすると、演奏を気に入った客から演奏会をやらないかと声をかけられた。そしてそれが今日というわけだ。
ゲネプロも無事終わり、開演五分前になった。
「中也、いよいよだね」
「あぁ」
「どうしたの? やっぱり緊張してるの? 最初は中也のソロステージだものね」
 折角だからということで、最初は中也、後に太宰のソロステージを設けた。デュオはその後だ。
「手前みたいにソロは慣れてないんだよ……」
「そんな君に、おまじないをしてあげよう」
 太宰はそう云うと中也のヴァイオリンと弓に口付けた。
「~~~っ! てめぇ……」
「あれ、なにもの欲しそうな顔してるの? やっぱりちゃんと口にして欲しかった?」
 上手く行ったらたくさん甘やかしてあげるね、と太宰は付け加えた。顔が余計に熱い。でも、ご褒美があるなら頑張らないと。
「というかね、緊張する必要ないんだよ。だって私が伴奏なんだよ? もし中也が間違えてもなんとかしてみせるから。中也の頭が真っ白になったって大丈夫さ。あと、中也が練習する姿、ずっと見てたもの。大丈夫」
 太宰が大丈夫と云うなら、大丈夫なような気がしてきた。
「……それを先に云ってくれよ」
「駄ぁ目。中也が赤面してるのかわいいんだもの」
 此奴は相変わらずだ。
「あァもう分かったよ! 行くぞ!」
 蝶ネクタイ以外は真っ黒なスーツのふたり――双黒が舞台へ出ていく。今日も、楽しい音楽の時間が始まる。

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