2.俺たちはカワイイ服を着ている!!

 太宰の家でお茶会兼お泊り会をしようと約束して2ヶ月程経った。今は11月下旬だ。学校行事は殆ど終わり、期末テストが終わったら後は冬休みを待つばかり。体育祭や文化祭が終わりひとまず落ち着いた。今日はいよいよ太宰の家に泊まりに行く日だ。金曜日で18時まで部活があると太宰に伝えたら、20時に森社長が迎えに行くと言っていた。
 帰宅すると俺は汗を流したくて急いでシャワーを浴びた。手早く体と髪を洗うと脱衣所に出て、バスタオルで拭く。新しく購入した下着を身に着けた。サイズ感は良さそうだ。流石は太宰。
 太宰にランジェリーを選んでもらってから、普通のブラジャーもあと2、3着欲しいなと思っていた。しかし、太宰が店長をしているお店のランジェリーは正直なところ高額で、何着も揃えるのは今の俺には無理だった。そこで頼ったのがネット通販だ。俺のサイズだとやはり地元のショッピングモールには売っていない。ネット通販ならば手に入ると思い、検索するとあるにはあった。値段も安価だ。しかし、画像だけだと判断がつかない。そこで、太宰に相談したのだ。太宰は画像を見て俺に合いそうな商品をピックアップしてくれた。月の予算もあるのでまずは1着購入してみた。それが先程身に着けたランジェリーだ。淡いピンク色のレースがカップを覆っていて可愛らしい。アンダーの部分にもレースが縫い付けられていた。ショーツはノーマルタイプながらも鼠径部のレース面積が広く、これも購入の決め手になった。
 鏡で自分の姿を確かめると、俺はやっと服を着た。太宰の家に行くのでワンピースだ。忘れずに太宰から貰ったレースのチョーカーを着けた。アフタヌーンティーは明日しようということになっており、買ったロリータ服を着るのはその時だ。
 脱衣所から出ると、俺は服を準備し始める。パジャマや基礎化粧品、歯ブラシセットなどは昨日用意できたものの、ロリータ服は少しでもシワにならないように直前に準備したかったのだ。太宰から「パニエは裏返しにすると若干収まりやすくなるわよ」と言っていたのでその通りにしてみた。フワフワと広がっていたオーガンジーとソフトチュールの表側を裏地が表になるようにひっくり返した。すると、外側に広がっていた部分が裏地に収まりコンパクトになった。それでもフワフワしているものの、広がっていない分スーツケースにも入れやすくなった。
 土曜日の夜には帰るというのに、ジャンパースカートやブラウス、鞄や靴を太宰の家に持っていくので1泊だけだというのにスーツケースじゃないと入らなかった。これではまるで旅行に行くみたいだ。いや、太宰の家は綺麗な洋館だったので、恋人の家に行くというよりは旅行気分の方が勝っているのかもしれない。送迎もしてくれると言ってもらえたし。
 今日のことを義姉さんに話したら、快く許可してもらえた。後で写真を見せて欲しいと言われたから、写真をたくさん撮って帰ろう。義姉さんは「森殿とエリスさんによろしゅう」と、老舗和菓子店のおまんじゅうを手土産として持たせてくれた。俺は俺で明日のアフタヌーンティーのお菓子を用意してある。デパートで見かけるお菓子は、太宰レベルになると大体「食べたことがある」と言われるので、俺が探すのはいつも普通のスーパーやコンビニだ。特にコンビニは商品の入れ替わりが早いため、太宰が食べたことないお菓子を手に入れられる確率が高い。太宰はあまりコンビニに行かないようだった。確かに、毎日学食で昼食を食べるのであれば、ついでにお菓子を買うとしても学内の購買になるのだろう。
 夜ご飯は太宰の家でご馳走になるので、その後すぐに寝てしまうのだろうがメイクも一通り施した。その後、忘れ物がないか荷物をチェックして俺は外に出た。義姉さんは最近仕事が忙しいみたいでまだ帰ってきていない。玄関を施錠して、表札の前で車を待つことにした。

 数分待つと、見覚えがある白のメルセデス・ベンツが家の前に止まった。
「中原さん、お待たせ」
「迎えに来ていただいて、ありがとうございます」
「もう夜だし気にしないで。スーツケース、トランクに入れようか」
 森社長は車を降りて、トランクにスーツケースを入れた。
「助手席でいいよ」
「はい。ありがとうございます」
 この車に乗るのは2回目だ。初めて乗った時は緊張していてあまりこの車の乗り心地を味わえなかったが、ドアを閉めると外との空間がしっかり遮断される感じだ。雑音が外から聞こえてこない。俺がシートベルトをするのを見届けてから、森社長は車を発進させた。ここで俺は、前回の道を思い出した。信号を避けるためにと住宅街の狭い道を走った。道幅が車幅ギリギリで、この高級車が傷付かないかハラハラしっぱなしだったのだ。
「あの、もしかして、またあの道を……?」
「あぁ、この前は心配させちゃってごめんね。今日は大丈夫。この時間だし、普通の道で行くよ」
「それは良かったです」
 できれば、あんな思いは2度としたくなかった。俺はホッと胸をなで下ろした。


 太宰の家に到着して中に入ると、早速太宰が出迎えてくれた。エリスさんも一緒だ。
「よく来たわね、チュウヤ!」
「お邪魔します、お世話になります。あのこれ、義姉からです」
 俺は義姉さんから持たされたおまんじゅうを渡した。
「おや、これは」
「リンタロウが好きなおまんじゅうね!」
「私の家からは少し遠くてねぇ。中々行けないから嬉しいよ。ありがとう」
「いえ、こちらこそ。泊まるだけじゃなくて迎えに来てもらって……。ありがとうございます」
「夕ご飯はできてるから、荷物を部屋に置いたらダイニングに来て! オサム、頼んだわよ!」
「勿論ですとも。中也、案内するわ」

 太宰に案内された部屋は、ゲストルームらしい。大きい屋敷だ。これくらいあっても全然おかしくない。風呂場とミニキッチンも備え付けられていた。冷蔵庫や電子レンジを置いたら、ここに住めそうではないか。
「うわぁ、俺の部屋いくつ入るんだよ……」
「あっ、今日は私もここで寝るから。見てよこのベッド。いいてしょ」
「一緒に寝るのかぁ。このベッドなら、良い夢見られそうだな」
 俺たちの視線の先にあるのは、天蓋付きのベッドだった。見るのは初めてだ。円形の天蓋が天井から1点吊りされていた。ベールに覆われたベッドで眠れるなんて、きっとお姫様気分を味わえるだろう。
「太宰の部屋もこんな感じなのか?」
「私の部屋は普通のベッドよ。ここのベッドは今までは普通のだったんだけど、今日のために用意したの。森さんにねだって」
「わざわざ買ったのか? お前はまた、森社長に我儘言って……」
「『中也のために』って言ったらすぐに了承してくれたわ。それに、私だって何もしてないわけじゃないのよ?」
「何かしたのか?」
「担当してるお店があるでしょ? 単純に、売上を前年度の同じ月より3割アップさせたの。森さんってああ見えてガチガチの実力主義者。成果を出せば、見返りはきちんとくれるわよ」
 実力主義か。報酬がきちんとあるなら、会社から「認められた」と思える。仕事に対するモチベーションも自然と上がるんだろう。同時に常に競争しているようなものだから、俺が思っている以上に太宰が置かれている環境は厳しいのかもしれない。やっぱり太宰は「ただのお嬢様」ではないみたいだ。すごい奴なんだ。
「なるほど、だから太宰の我儘もある程度通るのか」
「まぁ、その条件を出す前に中也をチラつかせたら買ってくれたけどね。一応私も対価は払わなきゃと思って」
 だからといって、流石に俺1人のためとは考えられない。太宰が欲しがったからこそ、森社長は買うことにしたのだろう。
「一緒に寝るの、楽しみだな」
「えぇ。でも、ちょっとドキドキしてるの。だって、中也とずっと一緒に居られるから♡」
 太宰は嬉しそうに言った。俺と一緒に居られるだけで、こんなに嬉しそうにするのか。
「俺も、嬉しい」
 太宰につられて、俺までドキドキしてきてしまった。どんな夜を過ごすのだろう。
 持ってきた服をハンガーに掛けてから、俺たちはダイニングに向かった。


 「エリスさんが作ったかけうどん、美味しかったな」
 俺たちは夕食後、ゲストルームに戻ってきた。少し時間が遅かったので考慮してくれたのだろう、今夜の夕食はかけうどんだった。
「そうでしょ? 出汁が美味しいのよね。そうだ、お風呂沸かすわね」
 太宰は操作パネルの給湯ボタンを押した。
「そう言えば、どんな風呂なんだ?」
「あぁ、見てみる? こっちよ」
 このゲストルームにはリビングとベッドルーム、風呂場とトイレ、そしてミニキッチンが備え付けられている。風呂場とトイレは勿論別で、風呂場の外には脱衣所と洗面台もある。太宰に案内され風呂を見ると、ジャグジー付きの、それは立派な風呂だった。3、4人は余裕で入れそうだ。
「なんだこれ、すごい」
「流石に温泉ではないんだけどね。沸いたら一緒に入りましょう」
「一緒に、入る……」
 太宰にそう言われて、俺はうっかり太宰の裸を想像してしまった。細身でスタイルいいんだろうな、と思ったところで正気になり、血が昇って顔が赤くなるのを感じた。
「嫌ならいいわ。顔が赤いけど、もしかして恥ずかしいの?」
「……少しだけ」
 やっぱり太宰は友達とはまた違うんだな、と自覚せざるを得なかった。部活の合宿では、大浴場で部員のみんなと入浴したことがあるのだ。まじまじと見られるわけではないが、裸を見られて恥ずかしい感じはしなかった。それが太宰だと思うと、途端に恥ずかしくなる。
「じゃあ、入浴剤でも入れましょうか。乳白色になるものを。それなら見えないわ。どうかしら?」
「それなら、大丈夫そうだ」
「入浴剤、持ってくるわね」
 それだけ言うと、太宰は部屋を出ていった。

 太宰が入浴剤を持ってきた後、リビングでテレビを観ていると風呂が沸いた合図の音が聞こえてきた。
「お風呂、沸いたみたいね。入りましょう」
「おう」
 下着とパジャマを用意して、俺たちは脱衣所に向かった。
「中也、これ、森さんから」
 脱衣所に入って太宰から渡されたのは、太宰の店で買ったランジェリーとお揃いで、ワンピースタイプのスリップだった。
「え、森社長から……?」
 もしかして俺がどんな下着を買ったのか知っているのか? それはちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
「あ、別に森さんが選んだわけじゃないわよ。知ってるのは中也が私のお店で買ったことまで。そんな詳細まで話さないわよ」
「それなら良かったぜ。それで、何で森社長から?」
「写真撮ってSNSに載せたでしょ? そのお礼に何かあげたいと言うものだから……。中也、私と出掛ける時はワンピースを着るじゃない。だから、私がお揃いを選んだの。着てあげて?」
「そんな、わざわざありがとな。それなら、有難く使わせてもらうぜ」
「お風呂入ったらこれも着てみてね。肩紐調節してあげる。今日はあの時買ったランジェリーでしょ? 約束、忘れてないわよね?」
 今日、太宰が見たいと言うのでランジェリー姿を見せる約束をしていた。
「忘れてないぜ。ほら、この通り」
 俺はあの時買ったランジェリーを太宰に見せた。いつ見ても綺麗だと思う。綺麗すぎるので着けるのが勿体なくて、実は、購入してから着用するのは初めてだったりする。
「私もお揃いの着けるわね♡」
 ちらりと太宰が持っているランジェリーを見ると色違いのピンクだった。交換条件ではあったけれど、本当に買ったんだな。ピンクはピンクで綺麗だし、俺は太宰にこそ似合うと思う。
「ずっと言いたかったんだけれど、チョーカー着けてくれてありがとう。似合ってるわ。外してあげる」
「普段使いもできる物を選んでくれたんだよな。今までチョーカーなんてしたことなかったけど、これなら着けやすいから、たくさん使いたい」
「気に入ってくれたみたいで良かった」
 太宰は外したチョーカーを、小物トレーの上に置いた。そして俺たちは服を脱ぎ、下着姿になった。
「これ、この前通販で買った奴?」
「おう」
「予想通りピッタリで良かった。ピンクも似合うわね。可愛い! あ、肩紐ちょっと緩いんじゃないかしら」
 流石はランジェリーショップの店長。俺はそんなつもりなかったけれど、太宰が言うなら間違いないのだろう。すぐに分かってしまうのか。太宰は肩紐を調整してくれた。
「おぉ、なんかフィット感が上がった! ありがと」
「お安い御用よ。あ、入浴剤入れなきゃ」
 下着姿のまま太宰は浴室に入り、入浴剤を入れた。ほんのりフローラル系の香りがする。
 太宰の下着は黒レースに薔薇のアップリケが施されていた。白い肌に黒がよく映えている。レースショーツ姿は色気と可愛さが混じって、少女のような、大人の女性のような、何とも言えない雰囲気があった。なんだかドキドキしてきた。
「太宰も似合ってる」
「中也に言われると嬉しいわ♡」
 太宰が下着を脱ぎ始めたので、俺も慌てて裸になり浴室に入った。かけ湯をして、大きい浴槽に入った。俺は身長が低いから、いつもよりもっと足から先の空間が広い。うっかり滑ったら溺れてしまいそうだ。
「中也、こっち」
 何となく対面して風呂に入っていたが、太宰が手招きをするので俺は太宰の隣に移動した。入浴剤で水中が見えない中、太宰は手探りで俺の手を握った。恋人繋ぎだ。
「誰かと一緒にお風呂なんて、何年ぶりかしら」
「スーパー銭湯とか行かないのか? ……行かないか」
 自分で口にしてみたものの、太宰は本物のお嬢様だ。そんな所に行くはずがないと、答えを聞く前に結論付けてしまった。
「そうねぇ、そういう時はホテルか旅館に行っちゃうし。お風呂付きの所にするの」
 ほら、やっぱり生活レベルが違うんだ。
「岩盤浴と温泉の組み合わせ、俺は好きなんだよ。体が芯からあったまって、スッキリするんだ」
「それじゃあ、今度連れて行って?」
「え、そんな所でいいのか?」
「中也と一緒ならどこでもいいわ。それに、中也は岩盤浴好きなんでしょう? 私も体験してみたいの」
「それなら今度、冬休みにでも行くか」
「楽しみにしてるわ」

 それから交互に洗い場で体と髪を洗い、風呂から出た。ふわふわのタオルで体と髪を拭いて、ランジェリーを身に着けた。
「見てもいい?」
「おう」
 太宰が少し離れて、俺の姿を見る。やっぱり見られるとなると恥ずかしくて、目線を合わせられない。
「うーん、最高! やっぱり似合ってる。中也ほどになるとメリハリがしっかりついていいわね」
「そういう太宰こそ、本当にモデルみたいだぞ」
 目が合わないように太宰の身体に目を向けると、想像通り、太宰の身体は綺麗だった。確かに胸は俺の方が大きいのだろう。でも、女性らしいふっくらした丸みのある胸だ。身体は華奢ではあるものの、谷間はしっかりできていて胸のボリュームがあるように見える。ウエストのくびれもしっかりあって、そこがまた色っぽい。
「2次元のキャラクターみたいな体系……」
「それって褒めてるの? 貶してるの?」
「褒めてるよ! だって、すっごいセクシーだがら」
 ピンクのランジェリーは華やかさがあるが、太宰が着けると可愛いし、綺麗だし、あざといし、おまけに色気もある。なんだこれは。
「中也だって人のこと言えないじゃない」
「俺は……ただデカいだけだし」
「グラマラスでいいじゃない」
「腹筋割れかけてるし」
「とっても綺麗よ? 腰まわりも贅肉がないからラインが綺麗だし」
「身長低いし」
「ちっちゃくて可愛いじゃない」
「そ……、そんな風に太宰は思ってるのか?」
「えぇ。中也は可愛い。ムキムキでも、おっぱいおっきくても大好き♡そうだ、スリップ着てみましょう?」
 顔が余計に熱くなった。太宰は純粋に俺のことを好いてくれているんだな。心がじんわり温かくなるのを感じた。

 お互いランジェリーとお揃いのスリップを着て、そのまま髪の毛を乾かして歯磨きもした。ランジェリーとお揃いのスリップは、やはり可愛くて綺麗でまだ身に纏っていたくて、パジャマを持ったまま天蓋付きのベッドに来てしまった。ベールをかき分け、ベッドの上に乗り上げて座る。
「お姫様気分だな。ベッドもなんか、ふかふかしてるし……」
 今俺たちは、天蓋の中に居る。幾重にも重なる白いベールからは、外の世界がぼんやりとしか見えない。太宰とふたりぼっちの世界に居るみたいだった。
「まるで、夢みたい」
「夢なんかじゃないわ。中也、好きよ」
 太宰は俺の手を取って言った。優しく微笑む太宰は、いつだって可愛い。
「俺も」
 ふたりで過ごすと言っても、どうしたって学校に居る時間が長い。プライベートでゆっくり会える機会は、思ったよりないのだ。俺は部活があるし、太宰にだってお店がある。誰の目も気にせず、ふたりっきりになれる時間は貴重なのだ。
「ぎゅってしたい」
「いいぜ」
 俺が腕を広げると、太宰は俺を抱きしめた。ふわりとシャンプーの甘い香りがする。
「もっとくっつきたいわ。こっち」
 太宰は抱擁していた腕を解いて俺から一旦離れると、足を伸ばして太腿を軽く叩いた。
「俺が乗って、大丈夫か……?」
 恐らく、体重は俺の方が重い。それほど太宰は華奢なのだ。
「大丈夫よ。中也の方がちっちゃいんだし。キツくなったら言うから」
「重かったらすぐ退く」
 太宰の脚を跨ぎ、体重があまり掛からないように女の子座りの要領で太宰の太腿に乗った。すぐに太宰の腕が背中に回ってきた。俺も太宰の背に腕を回す。
「今日は中也も同じ匂いね」
「みんなお揃いだな」
 使ったボディソープからシャンプー、ランジェリーまで。全部お揃いだ。
「嬉しい。中也と一緒♡ねぇ、キスもしたい。いい?」
「……す、する。したい」
 実の所、キスは喫茶店でして以来、していなかった。学校の資料室でのお茶会の時にされそうになったことがあったが、校内はどうしても恥ずかしくて拒否してしまったのだ。太宰はそれ以来、校内でキスをしようとしてこなかった。それが申し訳なかったし、太宰とのキスが嫌なわけではなかった。
 ガチガチに緊張してしまった俺に、太宰は顔中に口付けた。額に、鼻先に、両頬。安心させるように背中をさすってくれた。力が抜けてきた頃に、唇が降ってきた。1度触れて離れると、俺の顔を見つめた。
「もっとしてもいい?」
 言うのが恥ずかしくて俺はコクリと頷いた。目を瞑ると、太宰の柔らかな唇の感触がした。今度は角度を変えながら、何度も口付けをした。

 口付けしすぎて唇がぽってり腫れてしまった頃、太宰は気が済んだのか、最後に軽く吸い付いて俺の唇から離れていった。
「……ずっと、中也とキスしたかったの。うふふ、中也、顔が蕩けちゃって可愛い♡」
 太宰とキスをしている時、俺は嬉しくて幸せで気持ちよくて、心も体もふわふわしていた。
「太宰、俺もだいすき」
 俺からも1つの口付けを、太宰に贈った。
「ありがとう。ちゃんと、わかってるわ♡この格好のまま、もう寝ちゃいましょうか」
「寒くないかな」
「お布団かぶれば大丈夫よ」
 俺たちは布団の中に入った。自宅のベッドとはやはり違う。程良く体が支えられて心地良い。そして、急激に眠気が襲ってきた。
「中也、眠いのね。部活だったものね」
「う……ん」
 太宰ともっと話していたいのに、眠気には逆らえない。瞼が重くなっていく。
「おやすみ中也。また明日、楽しみましょう」
 薄れゆく意識の中、額に唇の感触がした。


 目が覚めると、俺は体を捩って太宰の方を向いた。まだ眠っているようだ。すぅすぅと寝息が聞こえてくる。長い睫毛にピンク色の、薄い唇。髪の毛には少し癖がある。それでも、艷やかでサラサラしていた。
「だざい」
 起こさないように、殆ど空気の囁き声で愛しい名前を呼んだ。

 暫く太宰をじっと見ていると、ふるふると睫毛が震えて目を開いた。少し微睡んだ後、太宰はこちらに体を向けた。手が伸びてくると、顔を包み込んで頬を親指で撫でられた。
「おはよう、中也」
「おはよう太宰」
「よく眠れたかしら?」
「勿論」
「良かった。朝ごはん、何がいい? 中也の家は和食かしら?」
「普段は和食だけど、選べるのか?」
「森さんとエリスさんは毎日仕事だから忙しくて、朝はインスタントなの。昨日の残り物の時もあるけどね。お味噌汁とご飯と、冷凍の鮭はあったと思うわ」
 太宰からは「夕飯はみんな揃って食べる」と聞いたことがある。きっと、森夫妻は忙しいながらも家族の時間を取ろうと、夜あまり残業しなくて良いようにしているんだろうな。
「そうだったのか。太宰は何を食べてるんだ?」
「私はシリアルとフルーツが多いかしら。どうする?」
「トーストくらいなら作ろうか? あっ、キッチン使って良かったらの話だけど」
「中也が焼いてくれるの?」
「トースターに入れるだけじゃねぇか」
「勿論いいわよ♡中也が作ってくれるなんて楽しみ」
 俺たちは布団から出るとひとまずパジャマを着て、洗顔を済ませた後キッチンに向かった。恋人とはいえ家族と同居している人の家の冷蔵庫を見るのは良くないかもしれないが、一応太宰の許可は取ったので良しとしたい。エリスさんは料理好きなようで、食材は揃っていて整頓もされていた。俺はトースターに食パンを入れ、レタスときゅうりとトマトを切ってサラダを作った。太宰はオレンジの皮をむいている。慣れているのか動きはスムーズだ。太宰は他に紅茶と、苺ジャムを乗せたヨーグルトを用意してくれた。
「わぁ、手作りの朝ごはんなんて久しぶり! ……森さんとエリスさんも、家族の時間を作るために頑張ってくれていることは知っているのだけれど。やっぱり嬉しいわね」
 ダイニングテーブルに配膳して、俺たちは朝食を食べ始めた。太宰が喜んでくれて、心底良かったと思う。
「いつもは俺も一人なんだ。義姉さんはもう出ててさ」
「中也は料理するのよね。お弁当、持ってきてるし」
「まぁ、作れても最低限だけどな。朝は中々時間ないし、夜のおかずを取っておくこともよくあるぜ」
「中也、美味しいわね」
 トーストの上には贅沢にバターが乗って、とろりと溶けている。サラダの野菜もみんな新鮮で瑞々しい。俺の家はいつも和食だから、オレンジがあることは珍しい。朝に紅茶を飲む習慣もない。けれどそんなことより、太宰と一緒に話しながら、ゆっくり、ふたりきりの時間が過ぎていくことが嬉しい。
「美味いな」
「またうちに来たら、今度は和食を作ってよ」
「エリスさんや義姉さんほどじゃねぇぞ?」
「私は、中也が作った料理を食べたいの!」
「それなら、しょうがねぇな」
 デザート代わりのヨーグルトは、苺ジャムが入ってなんだか甘酸っぱく感じた。


 アフタヌーンティーは昼食代わりにということだったので、朝食を食べた後、俺たちはロリータ服に着替えた。ショートケーキ柄のジャンパースカート。購入してから、何度も家で着ては可愛いなと思い、太宰とお揃いで着れる今日が待ち遠しかった。
 メイクはあれから太宰に少しずつ教えてもらっていた。デパートのコスメは買えないので、俺が使うのはドラッグストアに売っている範囲のコスメだ。太宰に着いてきてもらって、テスターで試した後、購入していた。勉強と部活の間にメイクの練習をしていた。つけまつげを付けるのも、だいぶ慣れてきたと思う。カラコンも、あの時太宰が買ったものと同じレンズを購入した。髪の毛は太宰に耳のあたりでお団子にしてもらった。今日はウィッグではなく地毛だ。
 着替えてメイクもして、俺たちは早速天蓋付きベッドで写真を撮った。ランジェリー姿の時もそれはそれで合っていたが、ロリータ服のふわふわした雰囲気にも合っていると思う。

 そんなこんなで、時間はあっという間に12時になった。アフタヌーンティーの時間だ。今回は特別に、アフタヌーンティーで食べる品を作ってくれる人をわざわざ呼んだらしい。太宰が連れて来てくれたのはサンルームだった。サンルームの周りには、よく手入れされた植物が植えてある。俺に分かったのは薔薇とパンジーくらいだったが、こんな場所が自宅にあるなら、わざわざアフタヌーンティーに出掛けなくてもいいのではないかと思うくらいに綺麗な空間だ。中央には白いロココ調の丸テーブルと椅子が2脚置いてあった。
「いつもここでお茶を飲むのか?」
「そうね。読書をしながら」
 陽の光も当たるので、ポカポカ気持ちが良さそうだ。太宰だと様になるだろうな。
「いい場所だな」
「私のお気に入りなの。あ、今日のアフタヌーンティーの始まりみたいね」
 太宰につられてサンルームの入口を見ると、そこには見覚えのある人物が居た。
「失礼します」
「貴方は、広津さん……!」
「中原さん。いつも寄っていただいて、ありがとうございます」
 広津さんは、太宰と今着ているロリータ服を買った帰りに寄った喫茶店のマスターだ。あれから、俺もあの喫茶店に通うようになっていた。
「あら、中也も常連客になっていたのね?」
「雰囲気が気に入ったんだ。一人になりたい時とか、ちょっと気晴らしに。今度、また一緒に行こうぜ」
「今度はパフェを食べましょ!」
「お二人とも、是非またいらしてください。飲み物は何にされますかな? 喫茶店のメニューに書いてあるものはご用意できますが」
「今日はカモミールティーがいいわ」
「俺も同じで」
「かしこまりました。ケーキスタンドも、すぐに持って参ります」
 広津さんは綺麗なお辞儀をして、サンルームを出ていった。
「広津さんを呼んだんだな」
「えぇ。最初はネットで頼もうと思ってたんだけどね。森さんが広津さんに頼んでくれたの」
「それでわざわざ来てくれたんだな。店の方は良かったのか……?」
「お店は休業よ」
「俺たちのために?」
「広津さん、森さんとの付き合いも長いから。それもあると思うわ」
「じゃあ目一杯、楽しまないとな」
 これだけ準備してくれていたことに、感謝しなければ。

 暫く太宰とおしゃべりしていると、広津さんがカモミールティーとケーキスタンドを運んできた。ケーキスタンドに取り付けられているお皿には繊細なレース模様が施されていて、見ているだけで可愛い。カモミールティーのポットは保温出来るようだ。蠟燭の火がゆらめいていた。
「お二人とも、写真でも撮りましょうか?」
 セッティングが終わると広津さんはこう申し出てくれた。
「お願いします!」
 太宰と俺と、美味しそうで可愛らしいケーキスタンド。背景には薔薇。服装は甘いロリータ服。隣には太宰。想像するだけでも可愛い空間だ。その世界が、カメラに収められていった。
「いい笑顔ですな」
 太宰のスマートフォンを借りて撮ってくれた広津さんが言った。
「今日は本当にわざわざ、ありがとうございます」
「太宰さんを幼少の頃から知っている身としては嬉しいですな。大切に思える方を見つけられて……。喜んでいただけるなら、1日くらいどうってことありません。こちらのベルを鳴らしていただければ参ります。どうぞごゆっくり」
 広津さんはまた綺麗にお辞儀をして去っていった。
「……私ね、この学校に入るまで、友達がいなかったの。まぁ、自分から積極的に作りたいと思っていたわけでもないけれど。森さんやエリスさんには、心配をかけたと思うわ」
「そういや、校内では誰かと話してる所を見たことないな」
 太宰に友達があまり居ないことは知っていた。友達の数で良し悪しを判断する必要はないので、俺はまったく気にしていなかった。ただ、悩んだ時に心の内を話せる人が居ればいいなとは思う。俺に全て話せるとも思っていないからだ。
「まぁね。織田作っていう警備員さんが居るんだけど」
「警備員?」
「中学生の時だったかしら。読書に夢中で、下校時刻を過ぎていたのよ。その時見回りしていたのが織田作。結構物知りなんだけど、すっごく天然で面白いの。私の友達よ」
 成程、同級生だけが友達とは限らないわけか。
「いつなら会えるんだ? 気になるじゃねぇか」
 太宰が「面白い」と評する警備員って、一体どんな人なんだろう。
「まぁ、今度のお茶会の時に下校時刻過ぎるまで居たら会えるわよ」
「じゃあ、今度待ってみようかな」
「中也も仲良くできると思うわ。さぁ、食べましょ」
 いつもならスープから飲むが、太宰は早速ケーキスタンドの一番上にあるミニケーキを食べ始めた。通常であれば、塩気があるものから食べるのだ。食べる順番を今日は考えないのか。確かにホテルではないし、ふたりきりなのだから自由に過ごそう。
「そういえば俺が持ってきたアレ、ないな?」
 俺は今日どんなお菓子を持っていくか迷い、ウエハースがチョコレートでコーティングされたお菓子を選んだのだった。少し大きなドラッグストアであれば種類も豊富だ。3種類程選んで買ってきた。昨日、そのお菓子は太宰に渡しておいてあった。
「うーん、これじゃないかしら?」
 太宰が食べているのは苺のミニケーキ。スポンジの上に、少し硬めの苺のクリームが乗っていた。
「うん、やっぱりこれよ。クリームの中に砕いたモノが入っているわ」
 俺はてっきりそのまま出てくるものだと思っていた。気になって俺もミニケーキを口に運んだ。
「確かに! ふわふわのスポンジと硬い食感がいいな」
「ビスケットのクリームの中にも入ってるわ!」
「これは抹茶味だな。広津さん、すごいな」
「あ、よく見たらバニラアイスに添えてあるわね」
「ほんとだ」
「アフォガード風ね。コーヒーとバニラアイスとチョコレート。合わないはずがないじゃない」
「美味しい。こんな風に使ってくれて嬉しいな」
「でも大本命は!」
「やっぱりシフォンケーキだよな〜!」
 ロリータ服を初めて買った後、喫茶店に通うようになったものの、シフォンケーキを注文できたのは数える程しかない。太宰が言っていた通り、すぐに売り切れてしまうのだ。
 カモミールティーをゆっくり飲みながら、シフォンケーキはお互い最後に食べた。ふわふわとした生地に、甘すぎないクリーム。シンプルなプレーンのシフォンケーキなのに物足りなさを感じないのだ。シンプルさを突き詰めたからこその、洗練された美味しさなのだろう。
「今度はパフェも食べたいし、中也ともっとロリータ服を着て歩きたいわ。旅行もしてみたい。私、楽しみにしてるんだから!」
「あぁ。今度はもう少し遠くに行こう。俺ももっとこの服着たいし」
「それで、お金貯まったらまた一緒にお買いものしましょ♡」
「行く。絶対行く」
「大人になったら、中也と一緒に住みたいわ。今日みたいに一緒にご飯を食べて、甘いお菓子も食べて、お風呂も一緒に入って一緒に眠るの。一緒に居て、何故だか嬉しくて幸せなの。これがきっと『好き』ってことなんだろうなって、私は思ってる」
 昨日と今日の、この時間はとても有意義に感じた。それは何より、太宰が隣に居たからだと思う。義姉さんも、俺に愛情を注いでくれていることは分かっている。それとはまた別の感覚で、太宰からの愛は甘くて優しいんだ。一緒に暮らすことができれば、これまでの自分の暮らしからは想像できない、夢みたいな日々がきっと過ごせる。それは単に経済的にというわけでは勿論なく、心がじんわりと満たされるような日々なのだ。よくある日常を楽しくしてくれる魔法を、太宰は掛けてくれる気がする。
「俺も、これからも一緒に居たい。大学生になったら一緒に住もう。太宰が満足できる所に住めるかは分からないけど」
 大学生になったら、俺は義姉さんの家を出ようと思っている。今までたくさん世話になった。大学生になればアルバイトも今よりできる。下宿となると家賃もかかるので、やりくりは大変だろう。それでも、できれば学費も自分で稼ぎたい。将来に備えて、両親の遺産にはできる限り手を付けたくないのだ。
「私は中也が居れば、それでいいの。約束よ」
「あぁ。約束だ」
 太宰が小指を出してきたから、俺は小指を絡ませた。テーブルの上には、食べてしまって空っぽの皿とポット。それとは裏腹に俺の心はとても満たされて、甘い気持ちでいっぱいだった。先程食べた、苺のミニケーキのように。

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