にょたゆり太中。
ロリータ服を着たい中也ちゃんと私服がロリータ服のお嬢様、太宰ちゃんのお話。
【ざっくりとした設定】
- 中高一貫女子校(ふたりは高校生)
- 太宰ちゃんの私服はロリータ
- 中也ちゃんはサッカー部エース
- 太宰ちゃんの義父もりさん
- 中也ちゃん義姉紅葉さん
- 森さん大企業の社長
- 姐さんは森さんとこのグループ会社の幹部、キャリアウーマン
- 森さんの妻はエリスちゃん
都会の商業施設のビルから出てきた人に俺は驚いた。ふわふわと広がった白のジャンパースカートに、可愛らしいクマのぬいぐるみがプリントされている。レースやリボンがやたら付いていて、カチューシャもソックスもジャンパースカートとお揃いの柄だった。靴はつま先が丸みを帯びている。
まるでお人形みたいなその人は、ビルの向かいにある横断歩道を渡ろうとしている。住んでいる世界が違うみたいだ。こんなに可愛い服を着れるなんて。俺は反対方向に向かおうとしていた。つまり、そのお人形はこちらに向かってきている。あまりに非現実的な空気を纏う人形に、ドキドキしながら俺は気付いたらぽろりと言葉をもらしていた。
「いいなぁ……」
すると、お人形にこの小さな呟きが聞こえてしまったのか、すれ違いざまに「ありがとう」と言われてしまった。心拍数が更に上がる。恥ずかしい。だけど、こんなに可愛い人と僅かでも言葉を交わせて、高揚感もあった。それだけでなんだか良かったなと思えてきて、俺はファストファッション店の袋の取っ手を握りしめた。
「これ、どうやって解くんだ?」
「あぁこれね。この公式を応用するの」
「はぁ」
「中也、分かってないでしょ。集中力が切れてきたみたいだし、休憩しましょう」
ここは高校の資料室。資料室と言うと何故かホコリっぽいイメージをしてしまうがそんなことはない。ここは私立の、所謂「お嬢様学校」だ。歴史は古いが、高校の建物は俺が中学生の時に新しくなった。だからこの資料室も、いたって綺麗で清潔だ。あらゆる資料が収まっている戸棚も、きちんとガラス窓がついていてホコリが被らないようになっていた。ドアと窓以外を棚に囲まれた中、取り敢えずその場で資料を確認するための机と椅子がある。そこで俺たちは勉強――いや、お茶会をしていた。
休憩、と言った太宰は自分の鞄の中からボトルを取り出した。フタ代わりになっているカップを机の上に置き、トポトポと紅茶を注ぐ。ささやかなお茶会の始まりだ。勉強の休憩におやつを食べる――それがこの勉強会をお茶会と呼んでいる所以だ。図書館は飲食禁止なので使えなかった。他に使えそうな教室を探したらここに辿り着いたと太宰が言っていた。確かに、ここなら人も来ないし勉強するにも、一人になるのにもぴったりの場所だろう。
太宰の姿はいつもと変わらずとても上品だった。水筒で、ただ紅茶を注いでいるだけなのに。太宰が休憩し始めたので、俺も飲み物を鞄から取り出した。余裕があれば太宰のマネをして水筒に紅茶を入れてくるのだが、今日は電車に間に合うギリギリの時間で家を出てきたのでペットボトルの紅茶だ。
「これが今日のお菓子だ」
お茶会といえばお菓子も必要だ。お菓子は交代で持ってくると決めてあり、今日は俺の番だった。紅茶のついでにコンビニで購入したチョコレート菓子を、俺は太宰に渡した。チョコレートでコーティングされたスポンジ生地の中にマシュマロが挟まっているお菓子だ。
「わぁ、これ期間限定のやつじゃない」
今日買ったものは、期間限定でチョコレートのコーティングが苺味になっていた。
「うん、美味しい」
今まで何度もお茶会をしているので、太宰の好みも何となく分かっている。苺は結構好きみたいだ。そんな俺も苺は好きなので、迷ったら苺味のものを買うことにしている。
「常に出せばいいのにな」
「そうよね、美味しいのに勿体ない。森さんに頼んでみようかな?」
太宰は森グループという大きなグループ企業の社長のお嬢様だ。学校の誰もが太宰を認識していて、印象はミステリアス。出席日数ギリギリで、学校に来ないのではなくてただ授業をサボっているらしい。サボって何も言われないのは太宰の成績がとても良いからで、校内のテストは勿論校外で受ける模試の成績も過去一番。先生たちは、出席日数が足りるならば大目に見ようという判断をしているようだ。
「太宰が言うとシャレにならなねぇからやめろ」
「言ってみたら面白そうじゃない。森さんの困った顔が見れるなんて楽しみ!」
太宰と森社長は本物の親子ではないと太宰から聞いたが、話を聞く限り森社長は太宰を溺愛しているみたいだ。その重すぎる愛は悲しいかな、太宰には受け入れられなかったらしい。こうして太宰はいつも、森社長の困った顔を見たがっている。森グループと言えば国を代表する企業のひとつなので、溺愛している養子からお願いされたら万が一もあり得るんじゃないかと、太宰のこういう科白を聞く度に少し心配してしまう。
「はー、数学はあと20ページか。まだ先は長いな……」
今はテスト一週間前。テスト週間に入ったところだった。部活動もこの期間だけは練習が一切なくなる。サッカー部に所属している俺も、今日から授業後の練習がテスト終了までなくなっていた。つまり、勉強に専念しろということだ。
俺は成績優秀な太宰に勉強を教えてもらっている。
サッカー部は全国大会の常連校なので、練習もそれなりにハードだ。それに加えて課題もあるから、今の成績をキープするだけでも随分苦労していた。俺としては義姉さんを安心させたいし、サッカーだけじゃないと示したいので、せめて校内テストの成績は半分以上にしたかった。部活が好きで勉強は二の次になってしまう俺の成績は、高校1年生になった時点で半分より下で、正直なところ、下から数えた方が早かった。受験もこの先控えているし、塾に通うことも考えた。でも、普段は練習だけで疲れてしまう時もある。俺としてはもう、いっぱいいっぱいだ。だから、余裕が少しでもある時に一気にやってしまいたかった。そんな都合がいい塾、あるのだろうか。それで試しに太宰に「いい塾ないか?」と聞いてみたら「私が教えようか」と言ってくれて今に至る。結果から言うと、太宰は先生としても実に優秀で、高校2年生になった今は上から数えて4割くらいだ。人間できるようになると嬉しくて、あれだけ勉強嫌いだった俺は、今では通学中や昼休みの空いた時間に少しずつ勉強をするようになった。
「テスト終わったら、また食べに行くんだから」
俺は太宰に勉強を教えてもらっているわけだが、その対価として、テスト後に必ずアフタヌーンティーに行っている。最初、俺はいくらか現金を包んで渡したのだが、「お金ならあるし、要らない」と言われてしまったのだ。代わりに「一緒に行く相手が居ないから」と今の形になった。一応、行くこと自体が対価なので料金は太宰持ちだ。俺にとっては最早、ご褒美でしかないイベントだった。
「今度は何だ?」
「アリスをモチーフにしたアフタヌーンティーよ。いいでしょ」
「いいな、それ!」
絶対可愛い。写真映えもするに違いない。テストまでは少し遠いが、今からアフタヌーンティーが楽しみになってきた。
「それなら頑張らなくちゃ。さて、そろそろ続きをやりましょ」
太宰はまた優雅にカップを水筒に戻し、鞄にしまった。いつもこの時間は、あっという間に終わってしまう。勿論勉強がメインの時間ではあるが、俺にとっては「お茶会」のひとときも大切だ。太宰とただお菓子を食べて、お茶を飲んで、少しだけ話す。そうしていると、自分もちゃんと女の子なんだなと思えるから、この時間は好きなんだ。
そして俺は伸びをして、再び問題を解き始めた。
太宰と出会ったきっかけは、高校1年生になりたての頃、商業施設の前の横断歩道付近ですれ違ったことだった。俺はロリータ服を着ている太宰に対して、思わず「いいなァ」と呟いてしまったのだ。それは幸か不幸か、太宰にも聞こえていたらしい。「ありがとう」と言われて俺は戸惑いはしたが、「こんなに可愛い人と言葉を交わせた」と小さな喜びを感じていた。それで終わるはずだった。翌日学校に行くと、下駄箱で声を掛けられた。それが太宰だったのだ。服装が違いすぎて俺は最初誰だか分からなかったが、太宰は俺を覚えていた。俺の髪色は明るい、赤みを帯びた茶色だ。地毛だけれど、あまりにも明るい色味なので最初は頭髪検査に引っかかった程。学校には説明して、地毛だと分かってもらえた。故に、太宰は髪色で俺だと判断したんだろう。そこから太宰との交流が始まった。「話相手になってよ」なんて太宰が言うので、最初はたまに部活の後、駅近くのカフェでおしゃべりをしていた。何故そんなことを言ったのか、クラスも違うので最初は分からなかった。
ある日、たまたま部活の仲間に用があって太宰のクラスを覗くと、太宰はぽつんと一人で本を読んでいた。本のタイトルは「完全自殺読本」。これは多分、やべぇ奴だと思われてるな。太宰もどこか近寄りがたい雰囲気だった。大企業のお嬢様だし、何かあっても困るのかもしれない。ここには他にも大企業のご令嬢がたくさん在籍しているからだ。付き合う友人も選ばなくちゃ生きていけないんだろうな。俺は気にしたことがないし、保護者である義姉に「あの子と付き合っては駄目」とか、そういうことを言われたことがない。後日、太宰に読んでいた本のことを聞くと「あぁあれ? 人除けみたいなものよ」と云っていたから、やっぱり太宰の立場上、人と付き合うこと自体に他人の思惑が絡みすぎて面倒なんだろう。
あれからテストが終わって、今日はいよいよアフタヌーンティーだ。テストの結果は上々で、また少し順位が上がった。次もこの調子で頑張ろう。会場は駅から歩いて5分程の所にあるので、駅で待ち合わせをした。どうやら、俺の方が早く着いたらしい。改札口付近の邪魔にならなさそうな柱の近くで、太宰の姿を探す。暫くすると、太宰の姿が見えた。太宰の姿はすぐに分かる。何せ、服装がいつもロリータだからだ。太宰だと分かったので手を振ると、太宰は気付いてこちらに向かってきた。
「おはよう、お待たせ」
今日の太宰の服装は、赤と白のダイヤ柄でティーセットがプリントされたジャンパースカートに、赤の姫袖ブラウスだった。ブラウスと色味を揃えた赤いタイツも、前と後にさり気なくダイヤがあしらわれていた。靴とバッグはゴールドで、ふんだんにレースとフリルが付いているパラソルは白。今日の太宰も可愛くて綺麗だ。
「それ、新作か?」
「そう。また森さんに散々着せられたの」
森グループはグループ企業である。元は小さな、町にあるクリニックだった。森社長が個人的な趣味で始めたロリータファッションのブランドは、今となっては業界大手へと成長した。太宰はモデルとしてSNSに掲載する商品を着て、撮影されるのだ。顔は仮面で隠れているが、それがまたブランドの雰囲気と合っていて、それはそれで俺は好きだった。
「今日は髪、巻いたんだな」
太宰の髪は、服装でコロコロ変わる。ウィッグの時だってあるのだ。夏は暑いからと言って、お団子にしている時もあった。今日は地毛の黒髪を、緩く巻いたようだ。ふわふわと揺れる艶やかな黒髪は、肩より10センチ程長かった。赤いリボンのカチューシャがよく映えている。
「今日は時間あったし。さぁ、行きましょ」
俺と太宰は、アフタヌーンティーの会場へと歩きだした。
会場のホテルに着いて、受付を済ませると早速席に案内された。綺麗に手入れされた薔薇庭園が見える、眺めがいい席だ。猫脚のソファーに2人並んで腰掛けた。
「ここは庭が綺麗なんだな」
「そうね。今回のアフタヌーンティーが発表されてすぐに予約したから、いい席にしてもらえたのかしら」
紅茶やハーブティーは飲み放題で、太宰は早速アールグレイを注文していた。俺はダージリンを頼んだ。
「さて、今回もテストお疲れさま」
太宰は涼しい顔をして言った。俺が勉強を教えてもらっている時だって、太宰はほとんど教科書や参考書を読んでいない。教科書は春にもらって読んで、すぐ覚えてしまうそうだ。なんて羨ましい頭の持ち主なんだろう。最初こそ少し苛ついたけれど、こんな話を聞いてしまったら、太宰がさっきの科白をいかにも「苦労してません」という風に言ったって何の問題もないのだ。太宰にとっては学校のテストなんて、遊びみたいなもの。
「今回もありがとう。おかげでまた少し、順位が上がった」
俺は太宰のことを友達だと思っているけれど、太宰と俺の住んでいる世界が違いすぎて、たまに遊ばれているだけなんじゃないかと不安になる。
「私は別に何も。中也が教えることをちゃんと理解して、アドバイスを実践してくれるから得られた結果よ。頑張ったのは中也だから」
「おう」
その時、頼んだ紅茶と共にケーキスタンドが運ばれてきた。スープからサンドイッチ、ケーキにマカロン、スコーンまで、一見小さく見えるが、全部食べるといつもお腹いっぱいになってしまう。
「苺がいっぱいだ……!」
太宰が今日はいつもより楽しみにしていると感じていたが、そういうことだったのか。赤とピンクがたくさんで、ケーキやマカロンもハートやダイヤの形になっていた。ケーキスタンドの皿は縁にダイヤ模様があしらわれ、ティーセットも柄が統一されていた。アリスと言うよりはハートの女王寄りだ。故に苺なのだろう。それでも、薔薇庭園の風景と相まって、絵本の中に入り込んだみたいだった。太宰と居ると、ますますそう感じてしまう。俺は早速スープに手を付けた。
「ねぇ、それで、いつになったらお金貯まるの? 私、待ちくたびれちゃうわ。別に私、中也になら買ってもいいと思ってるんだからね」
「う。あと少しなんだよ。多分、夏休みが終わる頃には……」
俺は、ロリータ服を買うための資金をずっと貯めていた。そして、太宰と一緒に出掛けるんだ。それが今の夢だ。実は今だって、俺は普通の綺麗めな無地のワンピースを着ている。今までワンピースさえ持っていなかったが、太宰とアフタヌーンティーに行くようになったから購入したのだ。サッカーは好きだし、体を動かすことは幼少の頃から好きだった。だから昔から誤解されやすかった。動きやすいからとスポーツブランドの服ばかり着ていたのも事実だ。だけど本当はずっと、いかにも女の子らしい、ロリータファッションが一番好きなのだ。太宰とすれ違った時に呟いてしまった言葉は、紛れもなく本音だった。心の奥底から、そう思っていた。ロリータファッションの服は、布の量も多く、フリルやレースも使用してあるため、正直な所、高校生がポンポンと手軽に買える代物ではない。学校の校則でアルバイトは基本的に禁止で、唯一認められているのは長期休暇の時。つまり、夏休みと冬休みと春休みの期間中だ。部活動の練習もしながら学校の課題もこなして、更にバイトをするとなると時間もさながら、体力的にもキツかった。太宰はずっと「私が買うから」と言ってくれているが、いくら太宰がお金をたくさん持っていても、自分で買うからこそ意味があるのだ。だからその時がきたら、惜しみなく使うつもりでいる。カチューシャから靴まで同じブランドで揃えるのが夢だ。
俺だってお嬢様学校の一生徒なのだから、極端にお金に困っているわけではない。両親は幼稚園の時に不慮の事故で亡くなり、今は尾崎紅葉と言う、両親が働いていた会社の後輩だった人が保護者だ。義姉さんは、生前の両親にとても世話になったからと、俺にも優しく接してくれる。年は保護者と言う割には近いが、本当の家族も同然の、大切な人だ。両親の生命保険や遺産のおかげで、俺は路頭に迷わずに済んだ。大学まで通える資金はあると聞いている。学費もここから出して欲しいと義姉さんにと頼んだが、どうやら義姉さんは俺の学費を払ってくれているらしい。「中也は妹も同然なのじゃから」と言ってくれるが、ただでさえ高い学費を払ってもらっているのに、必要以上に高額な服を頼むのは憚られた。それに元は、女子サッカーの強豪校だからこの学校に入学したのだ。だから完全に自分の趣味でしかないロリータは、精々SNSを見たり、たまに雑誌を立ち読みしたりするだけだった。太宰と出会うまでは。
「あっ、そうだ! 新作の商品、中也にも着せればいいんだわ! 写真も撮れて一石二鳥だし♡何で今まで気付かなかったのかしら」
好物の苺だからなのか、太宰の食べるスピードはいつもより速く感じた。気付いたら3段あるうちの2段目に手を付けている。今だって優雅にソーサーとカップを持って、ストロベリーティーを飲んでいるところだ。素早く食べているようには見えないし、勿論下品でもなくて育ちが違うなと思う。……って、今彼奴、とんでもないこと言わなかったか?
「あの、今なんて?」
「聞いてなかったの? 中也も私と一緒に、新作を着ましょう♡」
「いやいやいや、なんでそうなるんだよ!」
俺は危うく苦労して切ったサンドイッチを落とす所だった。
「だって、これなら中也は買う必要ないしロリータを着れるし、何なら二人で写真も撮ってもらえるじゃない!」
「俺がモデルみたいなことできるわけないだろ! 筋肉ついちまって可愛くもねぇし、身長だって……」
俺の身長は148センチ。一方太宰は170センチ近くあるのではないだろうか。綺麗で背も高くて細身で、本当にモデルみたいなのだ。並んだら20センチ以上にもなる差は、とても大きく見えるだろう。
「顔なんてほぼ隠れるから大丈夫よ。ウィッグ被ってつけまつげして、カラコン着けちゃえば誰だか分からないわよ。私だって仮面付けて撮ってるの、知ってるでしょう? 椅子に座れば身長は目立たないし、パニエ入れるしソックスも柄を選べば脚がムキムキでも分かりにくいわ。じゃあ、早速森さんに連絡しなきゃ」
携帯端末を取り出して太宰は森社長宛てに文章を打ち込み始めた。ちょっと待て。
「え、俺に拒否権は?!」
「そんなの、あるわけないじゃない」
あぁ、そういえば此奴はこういう奴だった。学校の奴らは太宰を「頭がいい大企業のお嬢様」としか思ってないだろう。友人として付き合って分かったのは、太宰にもこういう、とっても我儘な――それも理不尽な一面があるということだ。勉強会のお茶会でも、味を2種類買ってきたら「両方食べたい」とか言って俺の分のお菓子がなくなった時があった。でも何故だか、太宰なら許せてしまう。自然災害と同じだから仕方ないと思えてしまう。これも、育ちの違いなんだろうか。
太宰が森社長に連絡した後は、何事もなかったかのようにアフタヌーンティーを楽しんだ。でも、俺は少しだけイライラしたから、手で割ったスコーンに思い切り苺ジャムをつけて食べた。すると、ポロポロと欠片が落ちないではないか。綺麗にスコーンを食べることが苦手だったから、少し嬉しくなった。こういうこともあるんだな。そして、苺尽くしだったのに飽きることなく、楽しい気持ちも全部お腹の中に収まった。
今日は撮影当日。アフタヌーンティーから一ヶ月程あったので、せめて肌の状態を良くしようと基礎化粧品を少し高いものにしてみた。効果があったかどうかは正直よく分からなかったが、俺なりに頑張ったと思う。太宰は「中也の家まで迎えに車で行くわ」と言っていたけど、高級車が来るのだろうか。玄関先で待っていると、見慣れない車がやってきて俺の目の前に停車した。
「あの、君が中原中也さん?」
「あ、そうです。もしかして、太宰の」
「私は森と言います。治ちゃんの親だよ。あ、信じられないかなぁ……これ、どうぞ」
そう言って車の窓から渡されたのは名刺だった。
「森……鴎外って、あ、貴方があの……?」
名刺には取締役社長と森鴎外の文字が書かれていた。
「その通り。森グループの社長をやらせてもらっているよ。信じてもらえたなら、どうぞ乗って? 助手席でいいよ。中原さんと、少しだけ話したいんだ。家に着いて話すと治ちゃんに怒られそうだからね」
「あ、ありがとうございます」
俺は反対側に向かい、助手席に乗り込んだ。てっきり秘書みたいな人も居るのかと思ったが、社長は一人で来ていた。後部座席にも誰も乗っていない。
「学校では、治ちゃんが世話になってるみたいで」
「いやっあの、むしろ世話になってるのは俺の方で……。勉強教えてもらって、お陰様で成績が上がっているんです。ありがとうございます」
「いやいや、お礼を言うのはこちらの方だよ。あの子、なかなか人を寄せ付けないタイプでしょ。私の職業柄、どうしても人付き合いまで気を配らなければならない。でもそれは、私の話であって、娘には関係ないことだろう? 私は別に誰と付き合っても構わないと言っているんだけれどね。あれでいて、気にしてるみたいで……」
「そう、だったんですか」
太宰のことを溺愛しているとは思ってはいたけれど、いいお父さんじゃないか。
「友達を連れてくるのも実は初めてなんだ。出掛けるのも中原さん、君とだけなんだよ。いつも楽しそうな顔をして出ていくし、帰ってきても機嫌が良さそうなんだ。君と遊ぶのは楽しいんだろうなって思う。だからね、中原さんには感謝してるんだ。ありがとう」
そう言われると、なんだか嬉しかった。俺と過ごして楽しいなら良かった。俺だけが楽しくても、つまらないから。
「はい……!」
「紅葉君にも、世話になっているからねぇ。まったく、縁というのは不思議なものだよ」
「義姉さんをご存知なんですか?」
「あぁそうか、気付いていなかったんだね。紅葉君が勤めている企業も、我がグループ会社のひとつなんだよ。紅葉君は優秀な同期なんだ。創立当初から本当に良く働いてくれていてね。見るに、今は中原さんが原動力なんだなと思うな。私も頭が上がらないよ」
「俺も義姉さんには、感謝しきれません……」
それから太宰の家に着くまで、俺は森社長と話しながら車に揺られていた。
「森さん、遅い!」
森社長に案内されるがまま部屋に入ると、そこには太宰が待ち構えていた。太宰の家は、家というよりは洋館で、全体的にアンティーク感が漂っていた。家具もロココ調で統一されている。それこそアンティークで高級なんだろうな。
「これでも急いだんだよ? 信号を避けようと思って、すっごく細い道だって頑張って通ったし」
そう、森社長は白のメルセデス・ベンツが擦らないか心配になるほど狭い住宅街の道を通ってきた。俺はこの車に傷がつかないか心配でならなかった。
「中也! 早速この中から好きなのを選んで。私は色違いを選ぶから」
この部屋はどうやら衣装部屋のようだ。所狭しとファッションアイテムが棚に収納されている。ハンガーラックには、ロリータ服がたくさん掛かっていた。これが今回の新作たちなのだろう。
「うわぁ、こんなにたくさん」
用意された服は、柄も形も様々だった。ギンガムチェックや総レース、ゴスロリ寄りの無地でシンプルなモノからペガサスやタロットカード、フルーツなどの柄がプリントされているモノまで、よりどりみどりだ。
「肩紐は調節できるから、折角だしジャンスカ選べば?」
ジャンパースカート。俺は身長のせいで合わないと思っていたが、そうか。調節できたんだな。
「じゃあ……これ」
「鈴蘭ね。中也、絶対可愛いと思うなぁ」
俺が選んだジャンパースカートは、淡いラベンダー色に細い白のストライプ柄が入っていて、一番面積が広いスカート部分には鈴蘭がプリントされていた。肩紐やスカートの裾には白のトーションレースが縫い付けられていて、可憐さを引き立てている。折角だし、普段の俺とは真逆になってみようと思ったのだ。鈴蘭のイメージはピッタリだった。
「中也はラベンダーか。だったら私はピンクね。ブラウスはどうする? 白でもいいし、ピンクも可愛い。今回は珍しくラベンダーもあるからこれでもいいわ。あっ、黒も引き締まってシックな感じになると思うけれど……」
ブラウスは七分丈の姫袖だった。緩やかな丸首で、首周りにしっかりとフリルがついている。
「どれも可愛い、どうしよう。太宰はピンクか。うーん……太宰は白で、俺は黒なんてどうだ?」
「白と黒ね! 同じ柄でも違う雰囲気を見せれていいと思う。そうしましょ。ボンネットはお揃いのがあるのよね。ソックスと靴は、ブラウスの色に合わせましょう。あ、あとはこれ!」
太宰が俺に渡してきたのは、黒いレースのチョーカーだった。レースでも他にゴチャゴチャした装飾品が付いていないので、シンプルだ。これなら普通の服にも合わせられそうだった。
「これはプレゼント。試作品でどうせ捨てちゃうから気にしないで。改良して商品にするから意見があったらよろしく。この服にも合うと思うけど……つける?」
「つける! ありがとな。大切にする」
太宰は多分、普段使いできるようなデザインのものを選んでくれたんだろうな。
「今回はこれだけだと物足りないから……このカメオのネックレスも一緒につけましょう」
次々と着る洋服が決まっていく。これを俺が着るのか。似合うんだろうか。今までずっと憧れてきたが、いざ着るとなると、この可愛いすぎる服たちを俺が着ていいのか不安になってきた。それと同時に、期待でドキドキしていた。
一度同じ部屋にある更衣スペースでブラウスとジャンパースカートを着てみて、肩紐の長さを調節した。やはり、釦の位置を変えなければいけないみたいだ。
「森さんに直してもらっている間に私たちはメイクをしましょう。その間はこれ着てて」
太宰に渡されたのは白のベビードールだった。シャーリングになっていて、着脱が簡単にできる。
「みんな可愛いな」
裾と胸元にはボリュームたっぷりのフリル。白い薔薇のコサージュも付いていた。
「ねぇ、今度ランジェリーを買いに行きましょうよ。中也、スポブラしか持ってないんでしょう?」
「なっ! 何でそんなこと知ってるんだよ」
「もし普通のブラを持っていたら、今日はそっちを着けてきそうだから。中也はちゃんとそこまで気にしそうだなと思ったの。だから、きっと持ってないんだろうなって。部活もあるけど、ボリュームを気にしてるんでしょ?」
本当に、なんで分かるんだ。細身なトップスを着ると胸が強調されてしまって嫌だった。制服は仕方ないが、普段はオーバーサイズのTシャツで目立たないようにしている。部活をしている時間も長いので、時が経つにつれて普通のブラジャーはなくなっていったのだ。もう自分が、どのサイズなのかも分からない。
「変な話、下着の方が手軽に変えられるわ。私は私服がロリータだけど、中也はきっとそうならない。でも、下着なら毎日身に付けるし。部活で着替えるのが面倒なら、休日だけでもいいし。好きなデザインだとやっぱり、それだけでテンション上がるじゃない。勿論無理にとは言わないけど、好きなのを探したいって言ってくれるなら協力するわ。ボリュームが目立たないようにできてるやつもあるわよ」
確かに、一番身近な存在なのだ。スポブラみたいにシンプルではなく、レースやアップリケがついて可愛いブラジャーは、これもまた憧れだった。一人ではなく太宰が見繕ってくれるなら、納得できる下着を選べる気がした。
「……じゃあ、一緒に探してほしい。本当は、ちゃんとしたのを着けてみたかった。義姉さんには、なんだか恥ずかしくて相談できなくて」
「勿論よ! じゃあ、また空いてる日を教えてね。さて、メイクしましょう」
太宰は化粧台の前の椅子に俺を座らせた。
「うーん、ファンデはベージュかしら。中也は肌綺麗だし、下地はクリアで。アイシャドウはどうしよう。どれがいいと思う?」
太宰は俺に声を掛けながら下地やファンデーションを塗り始めた。俺は化粧が得意ではないので、ちゃんと見てこれからの参考にしたい。
「ウィッグはミルクティー色だったよな。ジャンスカはラベンダー。ブラウスは黒だけどピンクはどうだ? 似合いそうか?」
「うんうん。落ち着きもあるけど程よく可愛い感じね。そうしましょう。アイラインはブラウンにしておくわ」
下地とファンデーションを塗って、眉を描き終わると太宰は小さな箱からコンタクトレンズを取り出した。
「そうだこれ、カラコン。仮面着けるけど一応ね。中也は青が似合うと思って青を用意したわ。付けられる?」
「俺裸眼なんだよ。教えてくれないか?」
カラコンなんて初めて付ける。自分の瞳の色が変わると、随分印象が変わるんだろうな。
「じゃあ手を消毒して……これ、人差し指に乗せて。片手で瞼を開いて、閉じないようにしてね。洗浄液があるから、落としても大丈夫」
太宰に言われるがまま、俺はコンタクトレンズを指の腹に乗せた。鏡を見ながら瞳に近付けていく。
「そうそう、くっつけば落ちないから目を閉じて馴染ませてね」
痛みも異物感もなく、レンズは俺の瞳にくっついたらしい。ぱちぱちと瞬きしてみる。
「おぉ、青い……」
「その髪色だと、やっぱり青が映えていいわね。ウィッグなのが残念なくらい。もう片方付けたらアイメイクをするわ」
もう片方を慣れない手付きで付けると、自分が自分ではないように思えた。
「カラコンってすげぇな」
「目ってやっぱり顔の中でも目立つパーツだもの。中也はもっと可愛くなるわ」
太宰は淡いピンクのアイシャドウを塗っていく。ブラウンのアイラインを引くと、目がよりクッキリした。
「最後につけまつげね」
「え、こんなの付けてるのか。いつも」
太宰が見せてきたのは、まるで人形の睫毛のようなつけまつげだった。細長くて毛の密度が高くて、先がカールしている。
「写真だから。地まつ毛が長くてもこれには勝てないし。エクステすれば別だけど」
接着剤を塗り、程よい長さにカットされた睫毛が瞼に付けられていく。目を開けると、そこには――。
「これが、俺?」
メイクだけで見違えた俺の顔が映っていた。
「そうよ。中也は元々可愛いじゃない。メイクしたらもっと可愛くなるに決まってるでしょ。仕上げにハイライトとシャドウと、チーク入れるわね。……あ、リップはこの中から好きなのを塗って。筆はこれ。私もメイクするから、ちょっと待ってね」
それだけ言うと、太宰は俺の隣で自分のメイクに取り掛かった。化粧台は横に長く、2人並んでも十分な広さがあった。既に化粧はしているだろうに、何処を化粧するんだろうか。どう変わるのだろうと思って、リップを塗り終えた俺は太宰を見た。ブラウンだったアイシャドウを一旦落とし、俺に合わせてライラックを塗り直したようだった。そして、太宰も俺と同じと思われるつけまつげを付けていた。
「できた」
太宰がこちらを向く。
「お人形みたいだ……!」
あの時と同じだった。その姿は現実離れしていて、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったようだ。
「ふふ、今日は中也も一緒なんだから。森さんに直したジャンスカもらってくるわ。ちょっと待ってて」
太宰はジャンスカをもらいに部屋を出ていった。俺はもう一度、鏡に映った自分の顔をまじまじと見つめる。これが、俺。いつも眉は上がり眉で描いてしまうのに今日は並行で、色味もウィッグに合わせていつもより明るいブラウン。それだけで優しく見えるし、チークも普段は絶対選ばないだろうピーチピンクだ。リップもちゃんとしたものだとこんなに色付きが違うんだ。色付きリップしか使ったことがなかった俺は、そんなことを知らなかった。一番変わったのは目だろう。つけまつげを付けると目が大きく、そして華やかに見える。何より青のカラーコンタクトレンズがとても綺麗だと思った。太宰の見立てはきっと正しかったんだろう。まるで魔法が掛かったみたいだ。
「中也、これ着て。パニエはジャンスカを履いてからでいいから。後ろの編み上げは私が締めてあげる」
俺は更衣スペースでソックスからパニエ、ジャンスカまで身に付けた。パニエを履くと、一気にロリータファッションらしさが出る。鏡の前でくるくる回って全身をチェックすると、広がったスカートがふわふわと揺れた。俺は嬉しくなって、勢い良くカーテンを開けた。
「太宰、ふわふわだ!」
「中也、とっても可愛い……!」
太宰は満足げに微笑むと、俺に駆け寄ってハグしてきた。ふわふわしたスカートがぎゅっと潰れてしまわないか心配だったが、太宰はそんなことお構いなしだ。ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕を強くしてくる。
「服、汚しちまうからっ! ……あと、胸が」
身長差のおかげで、俺は太宰にハグされるとどうしたって胸元になってしまう。折角の洋服を汚してしまうのも申し訳ないし、胸が当たっているのはいくら同性とはいえ流石に気まずい。
「別に、女同士じゃない。そんなことよりも、中也が可愛い。早く写真、撮ってもらいましょ!」
黒のおでこ靴も借り、ウィッグも被ったら準備万端だ。俺はミルクティー色でボブカットのウィッグ。太宰は赤みがかったブラウンで緩くカールが掛かっていた。太宰に手を取られ、また別の部屋に向かった。
「森さん! 撮って!」
部屋のドアを開くなり、太宰はこう言い放った。ここはいつも撮影をしている場所みたいだ。この部屋の家具はSNSで俺も見たことがある。
「おや、これまた随分と可愛くなったねぇ」
「中也に気持ち悪いこと言わないでよね」
「あ、ありがとうございます」
「いいのよ中也、こんなオジサン相手にしなくても。でも綺麗に撮って」
太宰の奴、我儘をここで発揮するのか。森社長にもう少しだけでいいから優しくしてやれよ。
「まったく、難しい要望を出してくるよね、治ちゃんは」
「あの、カメラマンはもしかして……?」
「残念かもしれないけど、撮っているのは私なんだ」
「えっ、森社長直々にですか?」
「そうなんだよ。今ではブランドのアカウントになってるけど、元々は治ちゃんを撮るために作ったアカウントなんだ。カメラマンはずっと私だし、被写体はずっと治ちゃんだよ」
「そうだったんですか。てっきり専属のカメラマンが居るものだと……」
「だから気持ち悪いオジサンだって言ってるじゃない」
「なんだか治ちゃん、最近エリスちゃんに似てきたよね。厳しいよぉ……」
「エリスさんは当たり前の対応をしてるだけだと思います。あ、エリスさんは森さんの奥さんのことね」
「いやはや、まさか治ちゃんがこんな可愛い子を連れてくるとは思っていなかったからね。今から楽しみだよ。中原さんも、絶対可愛く撮るからね」
森社長は俺に向かってウインクしてきた。こういうお茶目な所もある人なんだな。社長だから勝手に堅苦しい人なんだと思っていたが、そんなことはなく、俺にはむしろ優しい人のように見えた。
「だーかーらぁ、私の中也に何言ってるの! 駄目なんだから!」
私の中也ってどういうことだよ。俺は俺だぞ。
「怒ってる姿も素敵だよ♡さぁ、まずはソファで撮ろうか」
太宰が撮影の時につけている仮面を渡され、顔につけた。仮面舞踏会をする時の、あの仮面だ。目元はこれで隠せる。鏡を見ると、これが自分だとはとても思えない。ここまですれば、学校の友人や知り合いに分かるはずもない。念の為仮面をつけたが、仮面がなくても誰にもこれが俺だと分からないだろう。メイクだけでも、俺は充分すぎるくらい変わっていた。そして、猫脚で深い赤のベロアが張られたソファに俺たちは腰掛けた。前側のボリュームがワンピースの時とは段違いだった。なんだか慣れない。
「座るとこんな感じなんだな」
「まぁね。普通の服より、やっぱりスペースは取るわね」
「二人とも、もう少し真ん中に寄って。すました感じで」
いつもアップされる太宰の写真を思い出しながら、俺は表情を作った。パシャパシャとシャッター音が聞こえる。
「いいよ、可愛いね。おしゃべりしてもいいよ」
「中也、緊張してる?」
「そりゃ、緊張してるさ」
「ふふ、そういう所も可愛い。確か、サッカーの試合では緊張しないんでしょ?」
大丈夫よ、と太宰は言って俺の両手を包み込んだ。にこりと仮面越しでも太宰が優しく微笑んでいるのが分かる。それが可愛くて、俺は顔が赤くなった気がした。心臓がはねる。仮面越しでなかったら、どうなっていただろう?
「太宰も、いつも可愛いし綺麗だ」
「中也に言われると嬉しいわ」
「二人とも、いつもそんな会話してるの?」
「今日は俺がこんな格好してるので。なんだかソワソワしてるんです」
「森さんは黙ってて! 私と中也の空間を邪魔しないで」
「一応撮影に来たんだから撮影しようよ、治ちゃん。次はあの椅子で撮るよ」
それから、部屋の中の家具や撮影用の背景を使ってたくさん写真を撮った。太宰と一緒と言えど、慣れない撮影に俺は疲れてしまった。
「お疲れさま。載せる分は撮ったし、良かったら仮面外して撮る? 写真のデータもあげるよ」
「そうよ中也。ここからが本番なんだから!」
太宰がこう言ってるということは、俺に拒否権はないな。でも、俺だって折角ここまでしてもらったなら仮面を取って写真を撮りたかった。
「折角なら撮ってもらいたいです、太宰と一緒に! その前にちょっと、義姉に連絡入れてもいいですか。遅くなるって」
「勿論。連絡しておいで。帰りもちゃんと送るから安心してね」
机の上に置いておいた端末を手に取った。その時、突然声がした。
「コウヨウには連絡してあるわよ!」
ドアの方を見ると、金髪碧眼の美女が立っていた。
「エリスちゃん、おかえり」
「エリスさん、おかえりなさい」
「貴女がチューヤね? コウヨウの所の……」
森社長と太宰の反応からして、あの美女は森社長の妻のエリスさんか。
「お邪魔してます、中原中也です。義姉とはお知り合いですか?」
「コウヨウは同僚よ。さっきまでお茶してたの。今日はウチで夜ご飯食べて行くって言っておいたから大丈夫なんだから! それにしてもアナタ……」
エリスさんにじっと顔を見つめられる。なんだか緊張してしまう。
「な、なんですか」
「とってもカワイイわね! 話を聞く限りとっても素直みたいだし、コウヨウが大切にするはずよ。……通りでオサムが夢中になるのね」
「はい?」
「エリスさん、それ以上は流石に私でも恥ずかしいです」
「え?」
おい太宰、今なんて言った?
「今時性別なんて関係ないからね。中也さんならいつでも歓迎するよ」
森社長、さり気なく今名前で呼んだよな。この家族の中で、俺の位置づけはどうなっているんだ?
「私は夜ご飯の支度をするから。今日はパスタよ!」
そう言うと、エリスさんは部屋から出ていった。
「エリスちゃんのパスタは特に絶品だからねぇ。味は私が保証するよ」
「そうなんですか。楽しみです……!」
「じゃあ森さん、私と中也の写真、撮って!」
「はいはい、分かってるよ」
そして、俺は太宰との写真を撮ってもらった。勿論データももらって、写真にもした。今は手帳のカバーにこっそり挟んである。撮影後の食事も会話もとても楽しくて、太宰の所も血は繋がっていないけれど良い関係を築けているのだと思った。この体験は、大切な思い出になった。
「中也! こっちこっち」
太宰と写真を撮って、一ヶ月程経ったある日、俺は太宰とランジェリーショップに行こうとしていた。因みに、あの時SNSに載せた写真は好評で、鈴蘭のシリーズは売上が予想以上に良いらしい。「また撮りにきてもらってもいいよ。今度はちゃんとお金を払おう」と森社長が言っていたと太宰から聞いた。俺としてはその前に自分で購入したいので、少なくともそれまでは撮らないつもりでいる。大学生になってバイトがもっと出来るようになったら、撮ってもらうのもいいかもしれない。
「おう」
お互いが住んでいる場所の関係もあり、今日は店舗の最寄駅で待ちあわせだった。太宰は今日もロリータファッションだ。今日はゴシック寄りだろうか。ランジェリーショップに行くからなのか、黒の総レースだった。コルセットのサテンリボンが黒の中にも可愛らしさを表現している。ブラウスも黒だが、透け感がある素材で真っ黒ではない。タイツにはシンプルなチェック模様が織り込まれていた。ストレートの黒髪には黒い薔薇とレースのヘッドドレス。今日の太宰も可愛い。黒くても可愛い。
下着の店はまったく分からず、店のことは太宰に任せっきりだった。店はデパートが何軒も建っている都会にあると思っていたが、そこから電車で二駅ほど離れた場所にあった。立地は都会の雰囲気を残しつつ、程よく緑もある場所だ。商業施設の中の店舗かと思いきや、そのランジェリーショップだけの建物らしい。外観もとてもランジェリーショップとは思えない。隠れ家的なお店なんだろうか。
「ここか……。なんだか高そうだけど、大丈夫か?」
「大丈夫よ。私に任せて」
もしかして、ここも森グループの関連会社なのか? 医療・福祉業界でもファッション性が求められているからと、森グループの中にはそういう業界の制服を作っている会社もあるくらいだ。お洒落だけど機能的で、それがまた好評なんだと何かの記事で見かけた。だから、女性用の下着を扱うお店があってもおかしくない。
太宰に手を引かれ、ドアを開けると赤い絨毯がひかれ、内装はアンティーク調だった。多分、森社長の趣味なんだろう。
「太宰店長、おはようございます。待っておりました」
「銀ちゃん、この子が中也よ」
「て、店長?」
「店長、何も話されていないのですか?」
「うん。中也、私、森さんにこのお店を任されているの」
次元が違いすぎる。成程、だから大丈夫ってことか。
「別に俺、貧乏ってわけではないからちゃんと払うぞ。さっきは確かに値段の心配したけど……。それより、満足できるのを買いたいんだ」
「いやあのね、私が店長だからこのお店に来たわけではないのよ。私の見立てだと、中也って多分Gカップくらいあるんじゃないかと思うの。そうなるとどうなるか、分かる?」
「え、俺そんなにあるのか? 普通の店だと……見ない、気がする」
「だから結果的に、試着まで考えるとここになっちゃったの。採寸も長い間してないとなると、試着は絶対に必要。価格は正直高いんだけど、初回は値引きしてあげられるし、私も良く知ってるから」
「店長の見立ては本当に正確ですから、安心してくださいね。店長に選んでもらいたくて来店されるお客様もいらっしゃるくらいですから……。きっと気に入る商品が見つかると思いますよ」
「じゃあ、試着室借りるから。よろしくね」
「はい。何かお手伝いできることがあれば、教えてください」
スタッフと思しき銀さんはぺこりとお辞儀をすると、レジに戻っていった。
「さて中也、とりあえず好きなの選んでよ」
価格帯だけあって所狭しと陳列されてはいないが、店内にはたくさんの種類のランジェリーがディスプレイされていた。
黒のレースも大人っぽくていいし、普段着ならカップがつるりとしたシンプルなやつもいい。でも、普段用は後回しだ。小花柄のチュールレースも可愛いな。
「どれも試着していいのか?」
「勿論! うちはGカップも全部作ってるから安心して。といっても数は少ないから、もしかしたらないかもしれないけれど……。ちなみに、うちで今売れてるのはこのシリーズ」
太宰に案内された棚を見ると、一際華やかなランジェリーが並んでいた。どれも色鮮やかで、レース使いは繊細。アップリケの刺繍もきめ細やかなグラデーションが綺麗だった。
「すごい綺麗だな」
「綺麗でしょ。うちの商品の中でも自慢の一品なの。自分へのご褒美に買っていかれるお客さんも多いわ」
どれも綺麗だなと眺めていると、明るいターコイズブルーのブラジャーが目に入った。肩紐の部分がターコイズブルーで、パッドの部分は白のレースで覆われていた。地のブルーが程よく透けている。レースには花の模様がターコイズブルーの糸で刺繍してあった。アップリケの花は濃いオレンジからピンクのグラデーションでアンダー部分を彩っている。そういえば、この鮮やかなターコイズブルーは撮影した時のカラコンの色に似ている。太宰が似合うと言ってくれたな。
「太宰、これがいい」
「これね。ピンクもあるけどこの色?」
「うん。あの時のカラコンと同じ色がいい。太宰が似合うって言ってくれたから」
「あの色、気に入ってくれたのね。嬉しいわ。じゃあ、この青にしましょう」
「それに、ピンクは太宰の方が似合うと思うから」
それを言うと太宰は一瞬キョトンとして、絞り出すようにこう言った。
「……中也、ハグさせて」
「ん? なんだよいきなり……。いいぜ」
俺が腕を広げると、太宰は包み込むように俺を抱擁した。香水なのか柔軟剤なのか分からないが、甘くていい匂いがした。
「じゃあ私、このピンクの買うもん……」
「なんで?」
「中也がそう言ってくれるなら、買うしかないじゃない」
「そうなのか?」
「そうよ。さて、試着しましょうか」
俺は何着か選び、試着室に案内された。何箇所かあるようだが、客同士が合わないようにバラバラな位置にあるらしい。店内と空間が分かれているので、落ち着いて試着できそうだ。試着室は鞄や洋服を置いても充分な広さがあり、外にはテーブルと椅子が置いてあった。きっと試着した後、ここで迷うんだろう。
「取り敢えず一着着たらこのボタンを押して。まずは採寸するわ。すぐに行くから」
「わかった」
試着室のドアを閉めると、俺は早速服を脱いだ。太宰が見立てたG70のブラジャー。こんなにあるのか今でも疑問だ。カップサイズが想像以上に大きくみえた。久しぶりすぎてホックをするのに手間取る。かがんで脇肉をカップに入れ、鏡を見た。ブラジャーってこんな風だったっけ。以前のブラジャーはもっとキツくて息苦しい感じがした。それもあって敬遠していたのだ。サイズが合ってなかったのかもしれない。準備ができたのでボタンを押すと、すぐに太宰が来た。
「開けてもいい?」
「おう。いいぞ」
ドアを開け、鏡に映った俺をまじまじと見つめる。
「うん、やっぱりこのサイズよ。肩紐調節するわね」
シュルシュルと太宰は手際よく肩紐を調節した。
「もう一度お肉手で寄せ入れて?」
俺はカップにグっと肉を寄せた。
「これで採寸するわね」
太宰は巻尺でトップとアンダーサイズを採寸した。
「サイズ的にはF70だけど、長年スポブラだったからお肉が流れちゃってるだけだと思うわ。でも、一応こっちも付けてもらえる?」
F70のブラジャーを試着すると、太宰が言った通り胸が食い込んで収まりきらなかった。なんで見ただけで分かったんだろう。
その後色々試着したが、結局一番に気に入ったのはやはりあのターコイズブルーのブラジャーだった。
「中也、とても綺麗ね。髪の色と良く合っているわ。ブラがここまで鮮やかでも、全然負けてない。素敵!」
試着した俺を見るなり、太宰はこう言ってくれた。
「あ、ありがと……! これパッドも外せるし、なんか胸の形が綺麗に見えるよな。大きくじゃなくて整えてくれるって言うか……。俺、これにする」
「気に入ったのがあって良かった! ショーツはどうする? レギュラーとレースと、Tバックもあるわ。そこのテーブルでじっくり見てみて」
俺たちはテーブルに移動して椅子に腰掛けた。そして、太宰がお揃いのショーツを見せてくれる。Tバックは流石に抵抗があるけれど、レースショーツは可愛いと思った。でも、これ透けてるんだよな。
「レース、可愛いでしょ。履いてみると案外気にならないわよ。スースーはしないわ」
俺が思ったことを見透かしたように太宰は言った。
「スキニーを履いてもショーツのラインが目立たないのよ、レースショーツって。中也、普段はスカートじゃなくてパンツが多いんでしょう? 機能的にもオススメできるわ」
ショーツのラインとか、そんなの考えたことがなかったな。でも確かに、例えば階段を登っていてショーツのラインが出ているのはちょっと恥ずかしい。俺もラインが目立っていたのだろうか。
「じゃあ一回買ってみる。レースのやつ」
「分かったわ。これで決まりね。ガーターベルトとかスリップもあるから、もし欲しくなったらまた来て。値段は定価でこれね。初回だから25%オフで、これが最終。お会計は現金? カード?」
太宰は電卓を叩きながら俺に金額を見せた。確かに、ずっと前に買った下着より随分と高額だった。でも、普通のお店にサイズがないなら仕方ないし、付け心地は良かったので少しずつ買っていけたらと思う。
「今回は現金で」
「かしこまりました。お釣りと、商品包んでくるわ。お茶出すからここで待ってて」
太宰はレジに向かっていった。すると、すぐに銀さんがティーセットを持ってきてくれた。手際がいい。
「ダージリンになります。店長の分も置いておきますね。良いのが見つかったみたいですね。良かったです」
「ありがとうございます。太宰が言った通りのサイズでした。なんで分かるんですかね?」
「ここだけの話なんですけれど、基本的にここのスタッフはある程度お客様の姿を見て、分かるようになるまで研修をするんですよ。太宰店長もその研修を受けているんです。でも、あんなに正確なのはすごいんですよ。だから、追加で何か訓練されていたのかもしれないですね」
「そうだったんですか。すごいですね」
「お客様も、何着も試すのは疲れてしまいますし。お客様のためですね。私はできるようになって良かったと思ってます。あ、店長が見えたので私はこれで。もし良かったら、また来てくださいね!」
「ありがとうございます」
銀さんはぺこりとお辞儀をして去って行った。
「お待たせ。おつりと商品ね」
ショップバックは黒いレース柄が全面にプリントされていて、ショップのロゴが入っていた。持ち手は黒のリボンだ。ランジェリーは黒の不織布でできた袋に包まれていた。
「袋も可愛いな。ありがとう」
「袋も拘っているもの。中也、買ってくれてありがとう」
「こちらこそ。太宰と出会ってから、俺は自分の好きなものに素直になれて嬉しい。太宰が居なけりゃずっとスポブラだっただろうし、ロリータ服を着たり、買おうだなんて思わなかった」
太宰は俺に商品と釣銭を渡すと、銀さんが用意してくれた紅茶を飲むために俺の反対側の席に座った。
「私もね、自分がしていることに意味を見出だせたのは、中也のおかげなの」
「どういうことだ?」
「私、本当はこういう服、あまり興味がなかったの。元は森さんの趣味で着せられてて。一度、普通の服を着た時もあったんだけど……」
「普通の服を着ていた時期もあったんだな」
「そうなの。普通のスカートって、すっごい風通しが良くて。いつもパニエを履いていたから、その感覚がどうにも慣れなくて、結局この服しか着れなくなっちゃったの。撮影だって、森さんがあまりにも懇願してくるから私が折れて、しぶしぶやっていたのよ。それが、ブランドを立ち上げるまでになってしまった。ロリータファッションを心から好きってわけではないのに、私がモデルでいいのかなってずっと思ってた。まぁ、森さんはそんなこと気にしてなかったみたいだけど。そんな時、中也に出会ったの」
「すれ違ったあの時?」
「うん。SNSで言葉はもらうんだけど、初めてだった。実際に『いいなぁ』なんて言われたのは。中也にそう言われて嬉しかった。それでやっと向き合う気になれたというか、あまりに日常に溶け込みすぎていたから、自分が何を好きなのか、もう一度考えてみようって思ったの」
「うん。それで?」
「まずね、私、思ったよりロリータファッションが好きみたい。レースとフリル、それにパニエのシルエット。他の服にはない特徴。何より可愛いじゃない。他に何が必要なの? あとはね、中也と友達になりたいと思った」
「それで声を掛けてきたのか」
「まさか同じ高校とは思わなかったけれど。友達なんて邪魔なだけだと思ってた。だって、みんな見てるのは森さんの方だもの。中也も、紅葉さんのことがあるから私と話してくれるのかなって途中までは思ってた。でも中也は普通に接してくれて、私、嬉しかった」
「そう思ってくれていたなら、俺も嬉しい。良かった」
太宰はティーカップの持ち手に指を掛け、いつものように優雅に紅茶を一口飲んだ。
「私、中也のことが大好きよ」
柔らかに微笑みながら、さらりと太宰は言った。あまりに綺麗な表情だったので、俺は見惚れてしまって一瞬何を言われたのか分からなくなった。
「あ、え……?」
流していいのかも分からず、俺は中途半端な反応しかできなかった。好きというのは、どの「好き」なんだろう。友達としてなのか? まさか恋愛の「好き」か? いや、そもそも俺が恋愛対象なんて、そっちの方があり得ないのではないか?
「そういう所も可愛い。大丈夫よ。友情でも恋愛感情でもなく、これはただの愛情だから。私にとって、中也は一緒に居たい、大切な人なの」
太宰からの愛は、とんでもなく大きく感じた。こんなの一気に受け止められない。しかし、「大切な人」と言うのなら、俺だって太宰は大切な存在だ。
「突然すぎてどうすればいいんだ、俺は」
「中也の率直な気持ちを教えてよ」
「……俺だって太宰と一緒に居たいと思う。お茶会してアフタヌーンティーに行って、それが楽しいんだ。話すのも楽しい。それに俺は、ロリータ服を買って太宰と出掛けたい。他の誰でもなく、太宰と一緒に。そうすればもっと、楽しいと思うから」
「今はそれで充分。今まで通り一緒に居て。拒否権はないから」
「たまにすっごく我儘になるよな」
「だって、中也は嫌そうじゃないし。少なくとも私の見た目は好きでしょう?」
「う……。可愛いもんは可愛いだろ!」
「うふふ、私のことを可愛いって思ってる中也もだぁいすき♡じゃあそろそろ、帰りましょうか」
いつも太宰は、俺の紅茶が減るペースも見ている。お互いのカップが空になった所で「帰ろう」と声を掛けてくるのだ。今回も俺と太宰、二人とも紅茶を飲み干したタイミングだった。案外、気を遣える奴なのだ。そういう所もズルいと思う。
鞄とショップバックを持って立ち上がると、太宰がにこにこしながら歩み寄ってきた。
「中也」
そっと両肩を掴まれて、顔が近付いてくる。太宰の甘い香りがふわりと漂ってきた。ちゅ、と太宰の形のいい唇が触れたのは、俺の鼻先だった。
「……俺が言うのもアレだけど、唇じゃないのか?」
太宰は俺のことを好きなんだろ。それなら、唇にしてもおかしくない。
「あら、唇が良かったの?」
「別にぃ? だって、いわゆる『告白』をした後だろ? なんというか……唇にしたかったんじゃないのかよ」
「だって、中也は気持ちを整理しきれてないみたいだし。唇に無理矢理キスして自覚させることもできたけど、私は中也に『私を好き』だって言ってほしいの。無理矢理だなんて意味がない」
「そう、か。じゃあハグ、させてやる」
太宰に「好き」と言われて、嫌な気持ちは一切なかった。鼻先にキスされても、嫌じゃなかった。むしろ、唇にして欲しかった自分がいることに気付いて、もう少し自分を試したくなったのだ。
「それ、中也がしたいだけじゃないの? まぁいいけど。中也ならいつでも歓迎よ」
俺が腕を広げると、太宰はぎゅっと抱きしめてくれた。温かい体温と太宰の匂いにドキドキする。勿論太宰は可愛いけれど、太宰に対して抱く想いはそれだけじゃないんだな。
「……太宰のことが、俺も好き、みたいだ」
頑張って伝えた声は、情けないくらいに小さかった。
「及第点ってところかしら。ふふ、ありがとう中也。今度はハッキリ言ってほしいわ♡」
帰宅すると、義姉さんが夕飯の支度をしていた。
「中也、おかえり」
「ただいま、義姉さん」
「ほぉ、買ってきたのじゃな。採寸は太宰だったのかえ?」
「そうでしたが……。何か気になることでも?」
「実は採寸の練習台にされたことがあっての。今では腕利きのようじゃが」
そうか、太宰の研修の一環に義姉さんも関わっていたのか。
「このお店で買ってたんですか?」
「今も買っておる。彼奴の腕は今では立派なものじゃ。太宰からなら安心して買える。それより中也」
「はい」
「やっときちんとした下着を購入してくれたのじゃな。妾はずっと心配じゃった。このままスポーツブラだけしか身に着けないのかと。中也はスタイルもいいからの」
「なんか心配かけていたみたいですみません」
「いいのじゃいいのじゃ。今日は赤飯じゃ」
「そこまでしなくても……! ってあれ、なんで俺がランジェリーショップに行くって知ってたんですか?」
「エリスさんから聞いてな。太宰との仲は何処まで進んでおるのじゃ?」
あれ、義姉さんもなんか誤解していないか? と思ったが、今日でその誤解も誤解ではなくなってしまったんだった。
「えっと……、一応、なんというか、俗に言う『恋人』ってやつにはなりました」
太宰はもっと大きな想いを抱えている気はするが、安直に表現してしまうなら恋人なのだろう。
「ほれ。赤飯で良かったじゃろうて。幸せになるんじゃぞ。中也」
義姉さんは朗らかに笑いながら台所に向かっていった。
恋人になってから、太宰は積極的に俺に接触してくるようになった。学校には昼食を調達するのに、購買も学食もある。俺は基本的に手作り弁当だが、たまに違うものを食べたくなった時は購買や学食を利用していた。その時はいつものクラスメイトとは食べず、一人でゆっくり食事スペースで食べるのだ。いつも人と一緒でも疲れてしまうので、息抜きには丁度良かった。その、一人で食べる日に、太宰と食べるようになった。流石に森社長やエリスさんは忙しいのか、太宰はいつも学食を利用しているらしい。太宰のことだからいかにも高級な弁当を食べているのかと思っていたが、普通のランチも食べるみたいだ。と言っても、ここは女子校なので栄養バランスに気を配ったメニューだ。野菜も多いし、デザートも糖質オフのものだってある。アフタヌーンティーばかりしていたので、ランチは今まで一緒に行ったことがなかった。太宰はピーマンが嫌いで、メインのピーマンの肉詰めを俺の皿に乗せ、カニクリームコロッケを奪っていった。別に俺はピーマン嫌いではなかったが、カニクリームコロッケも食べたかった。理不尽だ。嫌いならこのランチを選ばなければいいのに、太宰はどうやらカニクリームコロッケが好物で食べたかったらしい。理不尽ではあったが、太宰がピーマンを嫌いだなんて、なんだか子供っぽくて可愛いなと思ってしまった。
太宰は俺のサッカーの試合を見に来るようにもなった。義姉さんは見に行こうかと言ってくれたが、恥ずかしくて応援してくれる気持ちだけ受け取った。だから、見に来てもらうのは準決勝と決勝戦だけだ。太宰は俺が出る試合なら他校との練習試合だって来る。彼奴だってきっと、何店舗か店を任されているだろうに、わざわざ予定を調整して見に来る。ふんだんにフリルが使われているパラソル姿は、遠くからでもすぐに分かるのだ。特に試合中に何かを言ってくるわけではないが、冷やかしに来ているわけではあるまい。最初こそ心臓がバクバク煩かったが、やっとその気持ちを上手く受け取れるようになったと思う。試合が終わったら「ありがとう」と連絡を入れている。
今日は、待ちに待ったロリータ服を買いに行く日だ。勿論太宰も一緒に行く。日頃からチェックしているロリータファッションブランドのSNSで、何を買うのかはぼんやり決めてあった。しかし、実物を見たら気持ちが変わるかもしれない。実際にどれを買うかは、お店に行くまで分からないのだ。撮影をして分かった。間近で見る実物は、写真の何倍も可愛いのだと。
太宰とは、いつかすれ違ったあの商業施設の前で待ち合わせだった。
「中也、いよいよね」
「あぁ」
「本当にウチのブランドでいいの? 別に、気を遣わなくたっていいのよ。私だって他社ブランドも着るし」
「いいんだ。元々、太宰の所が好みだったし。撮影させてもらって、もっと好きになった。他のブランドも勿論チェックはしてるぜ。それでもやっぱり、太宰の所がいい」
「そこまで言うなら、私は止めない。じゃあ、行きましょ」
ビルに入り、目的のフロアまでエスカレーターで昇っていく。そのフロア一体がロリータファッションを扱うエリアになっているのだ。憧れて何度足を踏み入れようとしたことか。普通の服でそのフロアに行く人を見かけたことがあるのだし、立ち入っていけないはずはない。ただ、世界が違いすぎて自分のような人間が踏み込んでもいいのか不安だった。あの時だって行ってみようと思ったのに行く勇気が出ず、別の階にあるファストファッションの店に行ってしまった。
太宰は迷いなくお店へ案内してくれた。きっと寄ることが多いだろうし、もしかしたらこの店舗も任されているのかもしれない。そもそもフロアがロリータファッションで埋め尽くされているので、それはそれは眼福だった。好みはあれど、どのブランドもそれぞれの良さがあると思う。目的の店舗に向かいながら他店舗も通り過ぎる際にちらりと見てみるが、俺の気持ちは変わらなかった。そして、目的の店舗に到着した。深い赤とゴールドを基調にした、シックでクラシカルな内装だ。
「太宰さん、お疲れさまですわ♡この方が噂の……?」
「ナオミちゃん、こちら中也よ。ナオミちゃんは私たちと同い年。中也は、数多あるブランドからうちを選んでくれたの」
「よろしくお願いします」
「中也さん、私ナオミと言います。選んでいただけて嬉しいですわ! となると、目星はつけてあるんですの?」
ナオミさんは黒髪ストレートの美人だった。泣きぼくろがなんだか色っぽい。黒のAラインのワンピースを着ていた。スクエアの胸元には紐が付けてあり、紐をクロスして首の後ろ側で結んでいる。これならパニエなしでも着れそうだし、コルセットを着用してもいいかもしれない。
「はい。ショートケーキ柄のシリーズがいいなと思っていて……。でも、やっぱりどれも可愛いですね」
やはり、間近で見ると全然違う。写真だとあまり好みではないと感じていたものでも、実物は印象が変わる。細部を見ることができるし、写真だと多少色味が違うこともあるのだ。
「店内を是非ご覧になって! ショートケーキのシリーズは、これぞロリータという柄ですわね。いいと思います!」
「そっちだったのね。私はてっきりゴブラン柄のを選ぶかと思っていたわ。クラシカルなデザインも好きそうだったから」
「そっちも迷ったんだよ。でも……」
「でも?」
「太宰と出掛けるなら、無茶苦茶可愛いデザインでも抵抗なく着れる気がして。一人ならゴブランか無地のを選んでたと思うぜ」
「まぁ♡素敵ですわね! それでしたら太宰さん、早速試着してもらいましょう」
「そうね。ナオミちゃん、私も試着していいかしら? 私は中也の色違いを買うわ」
「双子コーデですわね! 勿論ですとも。お出掛けしたら、ナオミにもお写真見せてくださいね♡」
ショートケーキのシリーズは、正式には「Cute strawberry shortcake」と言い、シリーズに名前が付けられている。系統は甘ロリだろうか。色展開はピンク、サックス、ブラックがある。ピンクとサックスはパステル系の優しい色味で、ブラックはプリントされているケーキやクリーム、苺などの柄がハッキリ分かる。型は3種類あり、Aラインのワンピースとスカート、ジャンパースカートだ。小物もヘッドドレスカチューシャとソックスが展開されていた。
柄は勿論、苺が乗ったショートケーキだ。裾付近は生クリームのイラストが描かれており、二段フリルが可愛らしい。胸元からスカート部分にかけては苺と生クリームが交互にストライプになっていた。子供っぽくなりすぎないようにしているのか、イラストのタッチは少しリアルだ。胸元にはアクセントにリボンが付けられており、ハートの飾りボタンがとても可愛らしい。
やはり折角買うならジャンスカだろうと、俺はピンクのジャンパースカートを選んだ。ブラウスは丸襟で、色はサックス。パニエは一旦お店のものを借り、靴も購入するつもりだったので、ピンクのクロスストラップタイプの靴を試着した。一式身に纏い、鏡に映った自分を見つめる。撮影した時の服より、可愛いデザインだ。これはこれで、違う姿の自分を見ているようだった。そして、ふわふわのパニエにテンションが上がる。外で待っている太宰とナオミさんに姿を見せようと、俺はベルベットのカーテンを開けた。
「まぁ♡」
「中也……!」
「とってもお似合いですわ!」
「今回も可愛いわね」
「後ろのリボン、縛りますね」
ナオミさんはジャンパースカートの後ろの編み上げになっているリボンを縛ってくれた。
「苦しくないですか?」
「はい、大丈夫です」
「靴のサイズ感はどうです?」
「丁度いいと思います。思ったより歩きやすそうで、安心しました」
「そうですわね、7センチヒールと言ってもこちらのタイプは前にも厚みがありますので。ストラップでしっかりとまるようになっていますし。中也さん、太宰さんも試着されたんですのよ」
ナオミさんにそう言われ、俺は太宰を見た。
「わぁっ、お揃いだ……!」
太宰はサックスのジャンパースカートにピンクのブラウスを着ていた。
「お二人とも、鏡で見てください! やっぱりいいですわね、双子コーデは♡」
ナオミさんに勧められて大きな鏡の前に立った。
「太宰、可愛いな!」
「中也だって可愛いわ♡出掛けるのが楽しみね」
「そうだ、俺、鞄もなくて」
「勿論鞄もありますわ! 個人的なおすすめは、こちらですわね」
ナオミさんが持ってきてくれたのは、ハートの形をした鞄だった。
「ジャンスカの雰囲気に合うと思いますの。色展開も豊富ですから」
「流石ナオミちゃんね。珍しくサックスもあるのよね、その鞄」
「可愛いな。シンプルだから使い回し出来そうだ」
その後ジャンパースカートと同じシリーズのカチューシャとソックスも購入し、お会計を済ませた。幸せなひとときだった。またお金を貯めて買いに行きたい。一気に購入したため、買い物袋がいっぱいになってしまった。
「迎えを呼びましょうか? 送るわよ、家まで」
「あっ、でも、太宰の家俺の家と反対だし……」
「別にいいわよそれくらい。その間、そこの喫茶店でお茶でもしましょ。疲れたし」
俺の意見を聞かずに太宰は既に連絡を入れたようだった。俺としても有り難いし、ここは甘えておくか。俺と太宰は喫茶店に向かった。
「いらっしゃいませ。おや、太宰さんでしたか」
「こんにちは、広津さん。迎えが来るまで待たせてもらうわ。ちょっと荷物が多いから、空いていたら広めの席がいいのだけれど」
太宰の馴染みの店なのだろうか。広津さんはマスターらしき、ダンディな初老の男性だった。落ち着いたジャズのBGMがなんだかお洒落だ。
「それでしたら、丁度奥の席が空いていますよ。案内します」
案内されるがまま付いていくと、そこは個室だった。壁は白で、床やテーブル、椅子は黒だ。椅子は6脚あり、確かに2人で使うには広い場所だった。俺たちは荷物を4脚の椅子に分散させて置いた。
「太宰さんはアールグレイで?」
広津さんは水の入ったグラスとおしぼりをテーブルの上に置いた。
「そうね。中也はどうする? ここ、いろいろあるのよ」
メニューを見ると、コーヒーや紅茶は勿論、ハーブティーまで載っていた。ケーキやパフェもあるようだ。
「俺も、太宰と同じで」
「かしこまりました。アールグレイ2つですね。失礼します」
そして広津さんは部屋を出ていった。
「ここはよく来るのか?」
「えぇ。森さんが常連でね。小さい頃から一緒に来るうちに、気付いたら私もよく来るようになっていたの。ここの紅茶は美味しいわよ」
「今日もありがとな。いい買い物ができた。大切にする」
「私、誰かと双子コーデするのが夢だったの。ナオミちゃんも言ってたけど、やっぱり可愛いじゃない。それが中也で、とっても嬉しいの」
我儘な所もあるが、時々見せる、こういう純粋な所が俺は好きだ。勿論頭も俺と比べられない程いいけれど、ランジェリーショップの時みたいに、努力する所はちゃんと努力している。そういう所が好きだ。何より嬉しそうに笑う表情。普段の冷静さが少し柔らかになるその瞬間。
「太宰、好きだ」
その言葉は、自然と口から出てきた。
「……今だなんて狡いじゃない。ドキドキしちゃった」
太宰は驚いたらしい。落ち着こうとしているのか、水を慌てて飲んでいる。その頬は赤くなった気がした。可愛い。
その時、個室のドアがノックされ、広津さんがやってきた。
「お待たせしました。アールグレイです」
広津さんは慣れた手つきでポットとカップをテーブルに置いていく。
「こちらのシフォンケーキはサービスです。ちょっと作りすぎてしまいましてな。では、失礼します」
「ありがとうございます。美味しそうだな、太宰」
「これ、中々食べられないのよ。美味しくて評判だから、すぐに売り切れちゃうの。多分、私が初めて森さん以外の人を連れてきたから出してくれたんだわ」
「良かったのか? そんな大切な店に俺を連れてきて」
早速一口シフォンケーキを口に運ぶと、優しい甘さが口内に広がった。アールグレイも太宰が言った通り美味しい。また来よう。
「中也だから連れてきたのよ。学校の数少ない友達だって、ここは知らないわ」
俺しかこのお店を知らないのか。それを知ると、本当に太宰は俺のことを信用してくれているし、好きだと思ってくれているんだろうな。
「へぇ、そうなのか。なぁ、買った服、何処に着て行こう?」
「そうねぇ……。ショッピングは定番だと思うけど、中也今日お金使っちゃったし。やっぱり、アフタヌーンティーじゃないかしら。うちに来ればいいんじゃない? お庭もあるし、森さんが『次はいつ来るんだい?』ってうるさいの」
「成程、太宰の家でアフタヌーンティー……。太宰がいいのなら俺はいいぜ。お菓子もおすすめのやつ、持って行くよ」
「ついでに一泊していけばいいのよ。買ったランジェリー姿の中也を見たいわ♡」
「へっ、そ、それはちょっと恥ずかしい……」
「何言ってるのよ。私が採寸したじゃないの」
「採寸は気持ちが違うだろ! 上半身だけだったしさ」
「じゃあ、色違いで買ったやつ私も着るから! 駄目?」
「どういう交換条件だよ!」
「中也は興味ないの? 私の身体」
「その言い方はどうかと思うぞ。太宰のことだから、さぞ綺麗なんだろうな」
「その想像を現実にしてあげるって言ってるのよ」
「お前は痴女か!」
「中也なら、いいんだもん……」
太宰はむすっとしてそっぽを向いた。その姿をも可愛いと思ってしまう俺は、もう手遅れなんだろうか。
「分かった、分かったから」
「いいの?」
「約束通り、太宰も着ろよ」
正直、太宰の身体に興味がないわけでもない。だって、ただでさえお人形みたいに綺麗だから。日頃から食事制限や筋トレをしているんだろうか。
「約束はちゃんと守るわよ♡……あっ、車、着いたみたい」
「じゃあ、行くか」
ポットにもカップにも、勿論紅茶は残っていない。シフォンケーキも全て美味しくいただいた。ここまで計算していたのかなと思いながら、俺は席を立った。
「中也、忘れ物」
そう言われたので振り返ると、太宰に抱き着かれ、唇を奪われた。柔らかくてふわふわしていて、紅茶の高貴な香りとケーキの甘い香りがした。
「忘れ物、って」
「『好き』ってハッキリ言ってくれたから。私も大好きよ、ちゅーや♡」
にこりと笑っている姿はやっぱり可愛い。笑顔が一番だ。また太宰と一緒に過ごせる時間が楽しみだなと思いつつ、俺はキスを返した。