4.卯月

「夜桜もなかなかだね」
「……といっても、ほぼ散ってるけどな」
 今は私が中也の家に居候し始めて4ヶ月目に突入した頃。今年も探偵社とポートマフィア合同の花見が開催された。社員寮の建て替えのこともあり、今年は去年よりもスムーズに花見の詳細が決まった気がする。いつもは姐さんが作っていたお弁当は、探偵社員の熱烈な希望により中也が作ることになった。材料費もたんまり出してもらって、手伝える人には手伝ってもらい、それはそれは賑やかな宴会になった。中也が作ったお弁当は美味しかった。当たり前だ。それでもなんだか気がすまなくて、独り占めしたくて、私は中也を花見に誘った。しかし、中也と私の予定が合わずこんな時期になってしまった。もう新緑の季節を思わせるくらいに、今夜来た時には桜の花びらはほとんど散ってしまっていた。
「中也と一緒なら、なんでもいいや」
「そうかよ」
 近所の桜が見れるスポットは川沿いにあった。普段は遊歩道だが、桜が植えてあるので、花見シーズンは桜を見ながら散歩を楽しめる。何より綺麗なのは、橋から眺める桜だ。どこまでも遠く続いていて、水面に映る桜色はとても風情がある。
「で、何処で弁当食う?」
「人気もないし、そこの階段はどうかな」
 私が指さしたのは、川の方へ降りるためのコンクリート製の階段だった。この川は余程たくさん雨が降らない限り水かさも少なく、砂利が剥き出しの部分もある。砂利のところまで行く人は少ないが、階段のちょっとしたスペースは人が来ないので写真を撮るのにもってこいの場所だ。
「いいんじゃねェの。行こうぜ」
 中也が私の手を引いて歩く。花見を2回もするのは初めてで、中也もただ私の我儘に付き合ってくれているだけだろうと思っていたが、そんなことはなかったようだ。階段に座って、私たちは早速弁当を広げた。こんな時期とはいえここはライトアップされている。提灯がぼんやり光って、手元が見える状態だった。
「まさか、これを作るのにこんなに時間が掛かるだなんて」
「俺もまさか、手前がこんなに包丁が使えなかったとは思ってなかったぜ。うどんの時はちょっと慣れてないだけかなと思ったんだがな」
 私が見つめているのは林檎だった。弁当のデザートにと思い、切ろうとしたのだが……。
「戦闘に使うナイフは使えるのになぁ。なんでだろう」
「ひとつくらい、できないことがあってもいいじゃねェか。ただでさえ手前は『一度見たらすぐにできます』みたいな顔しやがって。努力ってモンを知ればいいんだよ」
「中也にできるんだから私にもできるよね」
「だから、やってみろって云ってるんだよ俺は」
「練習する。中也にできて私ができないってのも悔しいし」
「それにしてもこんなに小さくしちまって……。廃棄率7割くらいいっちまったんじゃねェの?」
「だって! 全然丸くならないんだもの!」
「第一な、ピーラーもあるんだからそれでもいいじゃねェか」
「ピーラー使ったら負けた気がするから嫌だったの」
「ふーん。ま、せいぜい頑張るんだな」
 中也はどうでも良さそうに卵焼きを口に運んだ。
「何云ってるのさ、練習するから見ててよ」
「はぁ? ンなもん、勝手にやっとけよ!」
「だってさぁ、見てたでしょ? 私が林檎の皮を剥く姿」
「見てた」
「どう思った?」
「新手の嫌がらせかと思った。いつ指を切るか、というよりむしろこっちに包丁が飛んでこないか心配だったぜ」
「台所、使ってもいい?」
 中也は言葉を詰まらせた。気付いたようだ。今の私に監視なしで台所を使わせたら、その後どうなっていてもおかしくない。非常に癪ではあるけれど、それくらい私は料理ができないのだ。
「……ったく、仕方ねぇな! もう!」
「それなら良かった。林檎は買ってくるから。よろしく」
「おう。早いとこ上手くなれよ」
「勿論だよ相棒。桜が綺麗だね」
 私の目線の先にあるのは水面だった。散った桜の花びらは川に落ちていく。木の花が散ってしまう頃には、水面が見えなくなるくらい桜の花びらが積み重なっているのだ。
「いつもは木の方ばかり見てるけど、確かにこれも綺麗だな」
「だから今夜でも花見になるかなぁって思ったのさ」
「酒持ってくるんだった! ただの葉桜だと思ってたからな」
「来年また来ればいいじゃない」
「……それもそうだな」
 ふと肩に重みを感じるなと思ったら、それは中也の頭だった。
「甘えたい日?」
「ちょっと、疲れただけだ」
「いいよ、甘えなよ。お弁当も作ったし、マフィアも忙しかったみたいだからね」
「……今夜は、手前の方を向いて寝てやる」
 先月キスをしてから、中也は時々私の方を向いて眠るようになった。大体は仕事が忙しくて疲れている時だ。心音を聞くと落ち着くらしく、身長差で布団に埋もれながら私の胸に顔を寄せてくる。枕の位置も無茶苦茶だ。軽く抱き寄せて体を撫でてやると体の力が抜けて、やがてすぅすぅと寝息が聞こえてくる。中也が頑張り屋なのは、昔から変わっていないみたいだ。
「君、食べるかもたれるかどっちかにしなよ」
 中也は私の肩に頭を乗せながら弁当を食べていた。
「みんなが居ると、こんなことできねェからな」
 それなら仕方ないなと思いながら、私は随分小さくなってしまった林檎を食べた。

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