0.プロローグ

 さて、今年ももう終わりか。
 俺はほっと息を吐き出すと、愛車のエンジンを掛ける。今は年末。年内の仕事に目処をつけ、漸く仕事納めをすることができた。明日から1週間ほど、休みをもらっている。昨年は急な仕事が入り、あまり休暇を楽しめなかった。だから今年こそ、休暇を満喫するんだ。今日はもう遅いから、買い出しは明日行こう。まずは酒。普段はワインを飲んでいるが、正月ならやはり日本酒がいい。食材も買って、今年こそおせち料理を作って食べたい。ひと通り正月中の予定に思いを馳せると、やっとエンジンが温まってきたので俺は車を発進させた。

 車を30分程走らせると、一軒家が見えてきた。中庭付きの2階建てで、外壁の色は白。自宅だ。危うげなく、慣れた手付きで車庫に車を入れる。車から降り、鞄や荷物を手に持ち玄関の鍵を開けると、そこには自分のものではない革靴が一足置いてあった。警戒しながら周りを観察してみると、荒された様子はない。空き巣ではないようだ。そもそもこの一帯はマフィアが買い取った土地であり、関係者以外の者が徘徊出来る場所ではない。つまり、この侵入者はマフィア関係者の可能性が高い。誰だろうと思いながら、俺は改めて革靴を見た。色は黒で形はプレーントゥ。サイズは自分の靴よりも大きかった。既視感はある。しかし、すぐには思い出せなかった。思い出すことを諦め視線を上げると、リビングの扉からは光が漏れている。ここでじっとしていても何も始まらない。もし泥棒なら、叩きのめすだけだ。心を決めて俺は靴を脱いで玄関に上がり、侵入者が居るであろうリビングの扉を開けた。
「あっ、おかえり中也。遅かったね」
 俺の眼前には、太宰治がポップコーンを食べながら映画観賞している姿があった。
「なんで手前が居るんだよ?」
 俺はここで、何故侵入できたのかを聞かなかった。太宰がここに居る事実は認めるしかないので、聞いたところで無駄だ。それよりも、太宰が何故ここに来たかが重要だった。太宰のことだから、何かとてつもなく面倒な案件を持ってくる可能性がある。
「ちょっと、社員寮に住めなくなっちゃって」
 太宰は「これくらい何でもない」という様子で切り出した。いきなり何を云い出すんだ此奴は。取り敢えず様子見するか。
「女に住所がバレたのか?」
「そんなヘマはしないよ〜」
 なんだ、面白くねぇな。心の中で盛大に舌打ちしながら、続きを催促する。
「だったらなんだよ」
「あの社員寮、実は老朽化が進んでいてね。今回、建て替えることになったんだ」
「はぁ。で?」
「取り壊して、同じ場所に新しい社員寮を建てるみたいなんだ。だから私は住む場所がないのだよ」
 ここまで聞いて、俺はとても嫌な予感がした。この予想は当たるという確信があった。太宰は俺が嫌がることを進んで行うからだ。
「もしかして、手前も居場所がねぇから俺の所に来たと?」
「うん。1年居候させてよ、ちゅーや♡」
 予想は見事に的中した。最悪だ。しかし、まだ回避できる可能性が残されていた。
「手前の家なら隣にあるぞ」
「え? なんかそっくりだなと思ってたけど、まさか建て直したの?」
 これが残された可能性だった。太宰の家は俺の家の隣にある。太宰がマフィアに在籍していた頃の家だ。この家は、太宰が離反すると同時に放火され、全焼してしまった。太宰の態度からすると、放火したのはおそらく太宰本人だろう。
「首領が建て直した。手前が戻った時に困るだろうからってな。有難く思えよ」
 この裏切り者めが。太宰の家は、元はと云えば幹部昇進祝いとして首領から与えられたモノだった。俺も幹部になった時に、今のこの家を建ててもらったのだ。わざわざ首領が用意した家を、自ら壊すなんて本当に信じられない。
「やだよ。だって、中也の家の方が何でも揃っているもの」
 俺ははぁ、とため息を吐いた。どうしたってこの男はこの家に居候するらしい。今までの経験から俺は悟った。どうせあの太宰のことだ。何回断ろうが、居候の約束をさせるための案をたくさん用意しているに違いない。最早何を云っても無駄だろうが、代替案を投げよう。悪あがきくらいしておかないと気が済まない。
「他のやつはどうしてるんだ。誰かと一緒に居候させてもらえよ」
「それがね、『何をしでかすかわからないから嫌だ』って云われちゃって」
「確かにな。居候先で自殺されたんじゃたまったモンじゃねェ。自業自得だ」
「だーかーらぁ、私には中也しか居ないの♡」
「なんかすっげぇムカつく。俺のメリットはなんだよ? 俺にメリットがなければ交渉は成立しねぇぜ」
 危ない危ない。感情的になって、危うく居候を認める条件を提示し忘れる所だった。此奴をタダで居候させるわけにはいかない。どう考えたって面倒が増えるだけだからだ。
「あー、流されてくれなかったか。……そうだねぇ、情報をあげよう。今の状況から見た、マフィアの状況予測1年分はどうだい? 何が起こるか分かっていれば、君も動きやすいだろう。何より私が作る予想だ。役に立つと思うけど?」
「それじゃあちと足りねぇなァ。どうせ俺は家だけじゃなく、手前の衣食住を提供する羽目になるだろうからな」
「まだ強請るの? じゃあ、君からの条件は? 聞いてあげるよ」
 条件は悪くないと思った。太宰の予測は確かに当たる。任務で嫌というほど実感してきたからだ。彼奴から条件を聞いてくれるということは、太宰がよっぽど俺の家に居候したいということなのだろう。1年くらい、行きずりの女を引っ掛けてフラフラするなんて彼奴にとっては朝飯前のはずだ。何故俺の家に拘るのかは全く分からないが、太宰からの情報は俺だけの利益にとどまらない。首領に知らせれば、役立ててもらえるに違いない。
「そうだな、手前が提示した条件に加えて、状況予測のパターンを追加。各出来事に対して、可能性が高いものから2つ提示しろ」
「えぇ、面倒くさいなぁ……」
「この条件が飲めなければ居候は認めねェぞ」
「それも困るな」
 太宰は顎に手を当て考えた。数秒考えた後、口を開いた。
「じゃあ、本当に1年間、私の衣食住をよろしく頼むよ。三食寝床つき。服はいいや。中也と合わないし。それならいい」
 もっと何か条件をつけてくると思ったが、食事と寝床だけか。それだけだと、途端に太宰のことが怪しく思えてきた。何か他に、理由があるのではないか。
「手前、目的はなんだ」
「なぁに? 疑ってるのかい?」
「そりゃそうだろ! 手前の行動振り返ってみろよ」
 太宰はうーんと考える素振りをした。おい、まさか自覚なしなのか? 車を爆破したり、俺のワインを勝手に開けたり、矢鱈からかったりしてきたじゃねぇか。もし無自覚だと云うのなら……、一発殴ってやる。
「ただ君の手料理が食べたい。寒いし、中也を湯たんぽ代わりにして寝たい。1年でいいから、今の私が、君と一緒に過ごしたい。それだけだよ」
 なんだ此奴、人肌恋しくなったのか? 人嫌いな太宰が、よりによって俺と一緒に過ごしたいだって?
「……なんだそれ。今になって」
「『ただ生きる』ってのが分からなくて。中也と一緒なら、ただの日常が少しは色付くような気がしたんだ」
 今の太宰はマフィアに居た頃と比較して変わったと思う。かつては絶望に満ち、感情が抜け落ちたように青白い顔だった。それに比べたら、今の方が幾分かマシだ。彼奴は彼奴なりに、生きているということなんだろう。
「手前が素直にそう云うなら分かった。1年、付き合ってやるよ」
「わぁい。じゃあ、早速夜ごはん食べたい」
「生憎、買い出しに行けなかったから残り物になるぞ? コンビニで買うか?」
「中也が作ってくれた料理なら、何でも食べるよ」
「そうか。じゃあ、手前も手伝え」
「え〜?」
「『え〜』じゃねェ。今何時だと思ってンだ」
「22時」
「明日は買い出しに行くんだからな。早く寝て明日に備えるぞ」
「え? 私も行くの?」
「なンだ手前、蟹食べたくねェのか? 行くなら選ばせてやる」
「じゃあ行く」
 少し不服そうな太宰を引っ張りながら俺はキッチンに向かった。俺にとっても、誰かと一緒に同じ空間で過ごすのは久しぶりだ。
 うどんの具を太宰に切らせようかと思ったが、あまりにぎこちなくて心配になり、包丁を取り上げた。これから、どうなることやら。

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