5.十年後

 私が首領になって、もう10年経った。今もヨコハマは平和だ。勿論脅威は絶えず訪れるが、厄介になりそうな芽は早々に摘んでいる。リスクは限りなくゼロに近い方がいい。ヨコハマで非合法なことをしたければ、まずはマフィアに許可を貰わねばならない。小物の相手は部下に任せ、私は時々現れる、大物になりそうな組織と直接やり取りをしている。許可を与えてから初めて取引をするまでは必ずだ。中也は危険性を鑑みて代理人でいいのではと云うが、最初こそ肝心なのだ。最初の判断を間違えなかったからこそ、この10年でマフィアは更に繁栄した。それに私は、マフィアにとって、ヨコハマにとって良いか悪いかを見極められる観察眼を持っている。10年で後輩たちは確かに成長したが、この役目は未だに私が最適だと判断している。逆に云えば首領の地位でさえ、最適な人材が他に居るのなら譲ってもいい。その時は中也と一緒に引退して、静かな所で死ぬまで暮らすんだ。中也は死ぬまでマフィアに居たいと云いそうだなァ。中也と穏やかな日々を過ごすことが、今の私の夢だ。今だと職業柄、穏やかになんて一ミリもなれない。平穏に見える状態は、続いても3日。まったく、ため息が出る。
 さて、今日はこれから中也と任務だ。何年も平穏が続けば当然、その状態に慣れてきて「マフィアを潰せるかもしれない」なんて考える輩が出てくるのだ。だから3、4年に一度、見せしめに組織をひとつ、殲滅することにしている。殲滅と云うと派手に壊したり殺したりするものだと思いがちだがそれは違う。殲滅した組織の発見が遅れれば遅れる程、マフィアが上手く立ち回る工作をしやすくなる。だから、普段は目立たないようにしているのだ。今回の任務は見せしめ故に、派手に殲滅する。中也を選んだのは、強大な力を見せつけるのに適しているから。後は、たまには暴れさせてあげたいっていう私の欲望。中也が思う存分異能を使える機会は、実の所あまりないのだ。中也は体術が得意だから、指先や拳、脚など部分的に使うことが殆どを占める。派手に見えてその使いどころは地味なのだ。しかし、建物を壊したり、数十人もの相手をひとりでしたりするとなると普段の戦い方では上手く行かない。派手に異能力を使えるというわけだ。全身に異能力を張り巡らせる必要がある。中也の異能はあくまで「触れたものの重力を操作する」力だ。例えば、弾丸でもナイフの切っ先でも、中也に触れなければそれを弾くことが出来ない。中也は異物が触れたと瞬時に察知しているのだ。私は軌道を予想して対処するのだけれど、中也はまるで全て見えているかのように処理をしていく。類い稀なるセンスだと思う。汚濁状態は強力すぎて、そのセンスを発揮する以前の問題になってしまう。基本的に汚濁は使わない方針だ。使用する代償が大きいし、自我を保てないんじゃあ中也も楽しくないと思う。アレは本当に、最終兵器なのだ。
 おや、思い出に耽っている間に奴さんが襲撃してくる頃合になったようだ。
「中也、そろそろだよ」
「分かってる」
 私たちはいつも通り、執務室で仕事をしていた。今日のこの計画のために、わざと警備を緩めてある。ポートマフィアの首領たる私の命を狙わせ、それを口実に敵のアジトへ向かう予定だ。
 殺気が隠しきれてないから、私でも分かる。私の脳天目掛けて弾丸が迫る。ガラスがパリンと砕ける音がした。そして、脳天を突き抜けると思った弾丸は、すんでのところで中也の手のひらが止めた。
「あーあ、やっぱりまた死に損なった」
「いいだろ、スリルは味わわせてやったんだから」
「その弾丸、調べてた奴と一緒?」
 私が尋ねると、中也は左手に握った弾丸を右手で摘まみ、確認した。
「あぁ。予定通り、叩き潰しに行けるな」
 その時、3発程追加で弾丸が撃ち込まれた。中也がすぐに反応する。すべて難なく人差し指で触れ、弾丸がピタリと停止した。
「首領、こちらはどうされますか」
 中也がどうやら仕事モードに入ったらしい。中也は律儀だから、任務の時は私のことを「首領」と呼ぶんだ。ならば私も、今は部下として接しよう。
「そうだね、持ち主に返してあげて」
「畏まりました」
 そう云うと同時に、中也は3発の弾丸をデコピンの要領で弾いた。辿ってきた軌道そのままに、文字通り弾丸は狙撃手の元へ帰って行った。狙撃手が居た辺りを双眼鏡で見てみると、死に絶えた姿が確認出来た。
「おー、今日も絶好調だねぇ」
「くっそ、今月窓ガラス何回交換しなきゃなんねェんだよ! 手前狙われすぎなんだよ」
「だって、今日の為に狙われないといけなかったんだもの」
 セキュリティが万全だと敵が私を狙うシミュレーションが出来ないからと、以前からわざわざ狙われてやっていたのだ。別の組織からも狙撃されていたので、私の悪名がこの界隈に浸透したんだと思う。
「もっと何か無かったのかよ?」
「だって、折角育てた部下が死んじゃうの、嫌じゃないか。ここまで育てるのに何年掛かったと思ってるのさ」
 ここで簡単に部下を切り捨てなくなったのが、私の進歩と云えよう。言葉通り、本当に人を育てるには何年も掛かる。教育に掛けた手間暇と私の頭脳、今では同じくらいの重みがあると私は思っている。
「お前が死ぬ方が問題だろうが! ったく、何年経っても常識が通用しねェな。首領が囮になるなんざ、普通はしないだろ」
「私は中也と違うし、私には中也が居るもの。私は君が死なせない。違うのかい?」
「違わない。当たり前だろ」
「それなら問題ないさ。さてと、敵のアジトに乗り込もう」
「……了解」
 呆れた様子の中也と共に、車に乗り込んだ。

 アジト付近で車を停め、私たちは入口までやってきた。ここは都心から離れている。少し車を走らせたら高速道路で都心へ行けるので、案外不便ではないのかもしれない。大きなビルがなくて視界が開けている。見上げれば星空がキラキラ輝いてうつくしかった。
 このアジトは、表向きは工場だ。調査によると、昼間に工業用の製品を作っているらしい。問題は夜間だった。マフィアに許可なく、武器を売っているのだ。あちらが拳銃と弾丸を売り込みに来たことが、この組織との付き合いの始まりだった。試しに使ってみると性能が良くて、値段も質の割に安かった。だから、様子を見ながら取引することに決めた。取引を始めて1年を過ぎた頃、マフィア内で拳銃の暴発事故が起きた。最初はただの事故だと思われたが、その後、立て続けに暴発事故が起きたので調査を行った。調査結果は勿論黒。別の組織が大量発注しているらしく、マフィアは大量生産の中で出た、云わば不良品を買わされていたようだ。分かりにくいように、正規品の中に上手く混ぜ込んであった。こういうことをされては、流石の私も黙っておけない。裏切り者には、それ相応の罰を。
 前回も中也とふたりでこの任務を行った。中也が楽しそうな顔をするから、15の頃みたいにふたりで任務もいいなと思った。私が戦場に赴くことは、今ではないから。唯一の例外がこの任務だ。部下には一応待機を命じてあるが、この任務はほぼふたりだけで行う。護衛も少し距離を置き、目立たないようにしてある。少人数の方が動きやすいし、相手も油断しやすいからだ。
 工場内に入れる場所は何ヶ所かあるが、今回は見せしめのため、分かりやすく正面突破する。
「ぶっ壊して入るか?」
 中也が指の関節をパキパキ鳴らしながら云った。心なしか楽しげだ。久しぶりに暴れられるのを、楽しみにしていたんだろう。入口のドアには鍵が掛かっていた。社員しか入れないよう、電子錠になっているようだ。カードリーダーとインターホンが備え付けられている。
「どうせ建物ごと壊しちゃうんだしいいよ」
 私が許可を出すと、中也はドアを蹴り飛ばした。ドアが見事に吹っ飛ぶ。
「よォ、邪魔するぜ」
 ドアの先には、拳銃を構えた敵が待ち構えていた。中を見渡すと、ざっと百人くらいだろう。どうやらここに来ることがバレていたらしい。
「お前たちがポートマフィアの首領『太宰治』とその番犬『中原中也』か」
「オイ首領」
 中也が先に中に入り、敵の質問を思いっきり無視して話し掛けてきた。
「なぁに?」
「どうせ、手前がリークしたんだろ?」
「だって、やりごたえなさそうだったからさ。君も暴れたいでしょ」
「ったく、しょーがねーなァ」
 そう云いながら、中也はわくわくしているようだ。口角が上がっている。
「お前たち! 立場が分かっているのか!」
 敵が一斉に距離を詰め、発砲してきた。これだから会話が出来ない輩は困る。どうせこれから殲滅するんだけれども。中也が振り返って目が合った。分かってる。
「殲滅を許可する。……楽しんでおいで」
 弾丸が中也に触れた瞬間、軌道がくるりと変わり敵へ向かっていく。重力で強化された弾丸の勢いは凄まじく、数十人もの敵を一気に仕留めた。あまりの華麗さに、静寂が訪れた。
「あぁ、云い忘れてたけど、『番犬』ってのは中也にとって禁句なんだよ」
 この呼び名を浸透させるのには苦労した。殲滅する時、わざと何人か逃がすのだ。予め中也のことを「番犬」と判断出来る材料は、敵が知らず知らずのうちに手に入れられるよう仕向けておく。生き残った兵は自らが持っている情報次第ではあるが、別の組織で重宝される可能性がある。ポートマフィア幹部の情報なら、きっと役に立つだろう。そして、情報は人づてに、組織を跨いで伝わっていく。
「クソ首領、なんでこんな二つ名浸透させてンだよ」
 そんなの、嫌がらせに決まっているじゃないか。
 私は中也が、「番犬」と呼ばれて嫌がることを望んでいる。何故なら、それが「中也」だと私が思っているから。もし「番犬」と呼ばれて「はいそうですか」となってしまったら。私が思っている「中也」ではなくなってしまったとしたら。正直なところ、私自身がどう感じるかを予想出来ない。だから怖くもあるし、楽しみでもある。いつかその時が来て欲しいと思う。それだけ中也の存在は、私が今を生きる理由になり得ているのだ。
「中也、今は一応任務中だよ。そんな言葉遣いでいいの?」
 その時、正気を取り戻した司令官が「あいつらを倒せぇ!」と叫び、武装した敵が襲い掛かってきた。どうやら銃で殺すことは諦めたらしい。中也がチッと舌打ちし、敵を殺めていく。
 中也の戦い方は実に分かりやすい。ザコに対しては、特別な理由がない限り一撃で終わらせる。急所に必ず中て、狙うのは即死だ。これが「生き残っていたら後々面倒だから」ではなく、あくまで「苦しまないように」なんだから中也らしい。無駄が削ぎ落とされた動きは、これが殺戮だなんて感じさせない程に綺麗だ。敵から滴る赤を見てやっと、中也がしていることを認識させる。
 殆どは中也が処理してくれるけれど、これだけ数が多いと中にはあぶれる敵も出てくる。私はそいつらの相手をする。偶に勘違いをしている人が居るけれども、私だってマフィアの一員だ。全く戦えない訳ではない。今はまだ計画が中途半端で、死ぬわけにいかないのだ。だから、以前より鍛錬するようになった。「死ぬ時は今ではない」と思う日が来るとは思わなかった。

 程なくすると、死体の山が出来上がっていた。私は必要そうなデータだけを回収し、中也と共に建物から出た。
「忘れ物はねェか?」
「うん。めぼしいものは回収出来たよ」
「じゃあ、ここも幕引きするか」
「そうだね」
 そう云うと中也は工場の壁面を歩いて屋根に登っていった。今からここを破壊するのだ。私は巻き込まれない程度に距離を取った。先に屋根の天辺に立っていた中也に手を振る。こちらに気付くと振り返してくれた。そして、轟音と共に建物がへしゃげ、瓦解していく。土煙をまきあげながら、瓦礫の山が出来上がった。重力で破壊された建物は重力で破壊された故に地面にめりこみ、かつ、地面にはクレーターのような窪みが出来る。それが、ポートマフィアが破壊した証でもあるのだ。強さの象徴に中也を据える。効果は絶大だ。中也には今でも戦前に立ってもらっている。援軍に行かせると、部隊の士気が上がるのだ。それは、中也が今まで積み上げてきた信用の高さの現れだと思う。折角参謀の私が作戦を立てても、実行出来なければ意味がない。中也のおかげで立てられる作戦のパターンも増えるのだから、本人には直接云わないけれど助かっている。
「帰ってきたぜ」
「おかえり、今夜もよくやったね」
 中也の帽子を取り上げて頭をわしゃわしゃ撫でる。
「おい、その撫で方はやめろって何度も云ってるだろうが! それじゃ、家に帰るか」
「いいの?」
「あ? 何が、だよ」
「空中散歩はしなくて」
「テメっ、いつから知ってやがる?」
「そんなのずっとに決まってるじゃない。こんなにいい星空なんだし歩いてきなよ」
 中也には「空中散歩」の趣味があった。歩くのは専ら夜中だ。拠点を抜け出していたこともあったし、遠方での任務が終わって寝ている時に歩いている姿を見たこともあった。
「別にいい。早く帰りたい、だろ」
 中也はばつが悪そうに私から目線を逸らした。ほら、やっぱり行きたいんじゃないか。
「十分十五分くらいいいよ。あっ、私のこと気にしてるなら、本当に気遣わなくていいから」
「……綺麗なんだぜ、高くから見下ろす景色は。歩くのも悪くないと思ってる。だから本当は、太宰と一緒に見たいンだ」
 私では異能を無効化してしまうから、中也と一緒に散歩が出来ない。中也は多分、そのことを気に病んで今まで云わなかったのだろう。
「じゃあ、後でどんな風だったか教えて。言葉でもいいし絵でもなんでもいいから」
 「行ってくる」と中也は云うと、ふわふわと宙に浮いて空気を蹴ってたちまち空へ駆けて行った。私は中也を目で追う。以前にも見たことがあったが、この時の中也はのびのびとしていた。重力という普通は抗えない力を操って、まるで自然に溶け込んでしまったようだった。遠くだけれど手を伸ばせば中也に届きそうだ。私も一緒に溶け込めるかもしれないと目一杯腕を伸ばす。でも、やっぱり届かない。寂寥感が広がって手を引こうとした時、中也が私に気付いて微笑んだ。そして、私の腕を引く。
 私もふわりと、宙に浮かんだ気がした。

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